どうも、英司です。
そんなわけで、今回は、私自身が若かった時、特にゲイデビューしたときのことを書きたいと思います。少し長くなるかもしれませんが、よろしければお付き合いください。
同級生への「初恋」
私が最初に男性を気になり出したのは、高校2年・16歳の秋頃でした。夏休みが終わり、ちょうど私がクラスで文化祭実行委員をやっていたときで、その相手はクラスの学級委員をしていました。
文化祭実行委員と学級委員という間柄、もともとその彼とは仲が良かったこともあり、夏休みが終わってからはみんなより1時間早く学校へ行ってその彼と話し合いをしたり、帰りもみんなが帰ってから少し残って話し合いをしたりしていました。当初はよくつるんでいる友達グループの一人、くらいにしか思っていませんでしたが、そういう共同作業を通してだんだんと「友達」というのとは少し違った感情が芽生えていきました。
しかし、当時は同性愛者に関する正しい情報があまりなく、ゲイ=テレビに出ているようなオネエ言葉をしゃべる女装したオジサンのイメージしかなく、「自分はゲイなんかじゃないんだ!」と自分で自分の感情を否定し、この時からセクシュアリティを受け入れられるようになる19歳のときまで、苦悩の毎日を送るようになりました。
高2の冬頃、彼への思いは決定的なものになっていました。それゆえ、彼と会ったりしゃべったりすると、自分の「男が好き」という過酷な現実と直面してしまうため、それまで仲が良かった彼と自分から距離を置くようになっていきました。
話しかけられてもそっけない態度を取ってしまったり、それまで普通に学校帰りに彼も含めた友達数人でファミレスやカラオケにも行っていたのに、そういう誘いを全部断ったりするようになっていきました。今思えば、彼にとっては本当に不可解な態度だったと思いますし、本当に申し訳ないことをしたなと反省しています。
「もっと広い世界がきっとあるはず…」大学進学を決意
高2の終わり頃、とても辛い気持ちを抱えていましたが、ちょうどこの時、東京の大学へ進学することを決意しました。理由は簡単で、全国からいろいろな人が集まる東京の総合大学のような所ならば、自分らしさを押し殺さずに生きていけるのではないかと、ぼんやりながらにも希望を持ったからです。
あともう一つの理由としては、受験勉強に集中すれば、彼のことも、自分が男が好きだという辛い現実もひとまず1年間は忘れられるんじゃないかという動機もありました。(受験勉強に現実逃避って、どんだけ辛かったんだよって・・・笑)
私の通っていた高校は、お世辞にも頭の良い高校とは言えない県立高校だったので「一般受験で東京の大学へ行きたい」なんて言うと、先生たちからは「無謀だよ。ウチの高校からじゃそんなの無理だからやめておきなさい」と何度も言われていました。しかし、あの頃はまだまだ若くて血気盛んだったので、そう言われれば言われるほど「クソ!結果を出して見返してやる!!」なんて意気込んでいました。
1年間遊びも我慢して、寝る間も惜しんで勉強に集中した甲斐あって、希望していた大学に無事合格することができました。
希望通りの進路を歩むも、新たな苦悩が…
希望の大学へ進学できて、晴れやかな気持ちで入学式を迎えました。入学後のオリエンテーションをこなし、激しいサークル勧誘の嵐にも遭いました。
その中で、オリエンテーション中に仲良くなった友達の誘いもあって、すぐにテニスサークルに入りました。
しかしそこで待っていたのは、年頃の男女のすったもんだの連続でした。誰と誰がいい感じとか、誰が誰に思いを寄せているとか・・・。
受験勉強を終えたばかりの若い男女なわけですから、無理もありません。でも、自分にとってはそこでも仮面を被らなくてはならず、想像していた大学生活とは少し違うなと思い、GWくらいを境にそのサークルを辞めました。
「そうだ、この1年間受験に集中してて忘れてたけど、自分は男が好きなんだった・・・。」
周りの友達が同じように受験を終えて、解放されて愛だの恋だのに盛り上がっている姿を見て、また疎外感を抱いてしまうようになりました。
やっと見つけた新しい居場所
そんな折、大学の掲示板で映画制作サークルの上映会のポスターを見つけました。
もともと高校までは演劇部に所属していましたが、大学の劇団はレベルが高すぎて、稽古も非常にハードなため諦めていた経緯がありました。そんな時にそのポスターを見つけ、「こういう形でまた演劇に関われるのも良いな」と思い、上映会に行ってみることにしました。
上映会が終わったあと、サークルに興味がある旨を先輩に伝えると「このあと、打ち上げに参加してみませんか?」という流れになって、サークルのメンバーとお酒を飲むことになりました。そこはとても居心地の良い場所でした。飲みの席でも愛だの恋だのという話はまったく出ず、どこそこのミニシアターでこんな映画がやってただとか、どこそこに良い感じのジャズバーがあるとか、好きな音楽の話、舞台の話、写真展の話・・・次々と飛び交う話題がどれも新鮮で楽しく、1ヶ月もしないうちに私はすっかりそのサークルに馴染んでいました。
サークル活動はとても楽しかったです。
まだ1年生ということもあり、見習いのような感じで先輩たちの撮る映画のアシスタントをしたり、ちょい役で出演したり、編集ソフトの使い方を覚えたりと、すっかりサークル活動に打ち込んで行きました。
一旦は受験に打ち込むことでセクシュアリティのことを考えないようにしていたわけですが、今度は映画制作に打ち込むことで、セクシュアリティについて考えずに済むようになっていきました。おまけに、ノリの良い男女が集まるテニスサークルとは違い、文化的で落ち着いた雰囲気の人が多いサークルだったため、男女比は半々くらいのサークルであるにも関わらず恋愛絡みの揉め事など皆無で、特段自分のセクシュアリティを意識せずに済む環境に身を置くことができました。
当面は、自分が監督を務める作品を作る、という目標に向かって、サークル活動、学業、アルバイトと忙しい毎日を送って行きました。
そうして1年が過ぎて、19歳になり、学年が上がって、サークルでは広報・宣伝担当という役職にも就きました。新歓が落ち着き、夏の上映会についての会議があった際、メイン作品となる長編作のシナリオがまだ出てきていないという事態に陥っていることが明らかになりました。
私は高校の時は演劇部に所属していたこともあり、昔から気が向けばシナリオを書いていました。ちょうどその時も、1年生の終わりの春休みに書いていた長編のシナリオを温めていました。
「長編のシナリオあります!僕、撮ります!!」と手を挙げ、ずっと目標にしていた自分で脚本・監督を務める作品の制作をスタートさせました。
ゴールデンウィーク明けから夏の7月の上映会まで、急ピッチで撮影を進めました。
気温の寒暖の差が激しい中、役者さんには夏の衣装で挑んでもらったり、曇りのシーンと晴れのシーンをつなぎ合わせておかしな映像になってしまったり、編集は連日徹夜で行なったりと、いろいろ苦労もありましたが、最終的には自分でも納得の行く、素晴らしい作品に仕上げることができました。
宣伝担当として作品ポスターなんかも作り、大々的に宣伝を行った甲斐もあり、上映会には100人を超える観客の方に訪れていただきました。舞台挨拶のときには満席となった会場を前に思わず感極まってしまい、懸命に涙をこらえながら作品の制作意図を話したのを今でも覚えています。
夏の上映会は大成功のうちに幕を閉じました。そしてすぐに夏期テストが始まり、まもなく夏休みに入りました。
この夏休みは、今でも忘れることのできない夏休みでした。
「決断」の夏休み
「自分が監督を務める作品を撮る」という大きな目標を達成してしまった私は、一種の燃え尽き症候群のようになってしまっていました。
受験、サークル活動、監督作品の制作・・・自分のセクシュアリティに気づいてからずっと何かに打ち込んでごまかしてきたけど、いよいよもうごまかし切れなくなってきていました。
この夏は、本当に誰とも会わない夏を過ごしました。1年生からアルバイトをしていてある程度のお金も貯まっていたため、夏休み中にアルバイトも辞めて、一人で映画を見に行ったり、行ってみたかった街やカフェに行って一日中読書をして過ごしたり、青春18きっぷを使って一人で旅行に行ったりと、静かな夏を過ごしました。
そこで出た答えは、いよいよ「あの問題」について真剣に考えよう。というものでした。
あの問題とは、もちろん、自分が同性愛者であること。です。
どうやら新宿二丁目というところにゲイの人が集まっているらしいことを知り、ちょうど新宿で用事があったのでその用事を済ませたあと、まだ昼間でしたが携帯の地図を見ながら恐る恐る二丁目の方向に足を進めて行きました。三越を過ぎ、伊勢丹の本店を過ぎ、デパート街を抜けて少し歩き、もうあと数十メートルで二丁目の入口となる「新宿二丁目交差点」に着こうというその時、「やっぱり自分には無理だ。この一線を超えたら永遠に『普通の生活』に戻って来れないんじゃないか」という思いが過り、新宿駅の方に向かってUターンしてしまいました。
初めて見た「男性同性愛者」に衝撃が走る
そんな体験を経て、夏休みも終わりに近づいたある夏の終わりの夜中。私はPCの検索エンジンに恐る恐る「ゲイ」と入れて検索をしてみました。
そうするといくつか出会い系サイトが出てきましたが、そういうところには最初は抵抗があったため、ゲイ雑誌のサイトと思しきページをクリックしてみました。
その時、大変な衝撃を受けました。
そこには、オシャレに短く整えてある髪型をしていて、身体も程よく鍛えていて、アバクロやDIESELなどのような男性的でオシャレなブランドの洋服を身にまとい、笑顔で表紙を飾る若くて健康的な男性の姿が現れたのです。「え!?こ、こ、これがゲイの人!?」と、初めて見るゲイの姿にすごい衝撃を受けました。
ゲイと言えば、テレビで見るような女装したオジサンを想像して開いただけあって、その衝撃たるや・・・(笑)
ページを遷移して、バックナンバーのページに移っても、どのページにも同じように、今風のとてもカッコイイ男性たちが笑顔で写真に写っているのです。
当時、同性愛者=悲恋的な世界というイメージもあったため、想像とは全然違った笑顔で写るそのゲイたちの写真を目にして、大変な驚き感じたと同時に「自分はこの3年間、一体何に苦しんで来たんだろう?自分は女装したオジサンじゃなくて、こういう人たちと同じゲイなんだ!!」と、これまでのことがバカバカしく思えるほどの自己肯定感を得ることができました。
その後、大学内にあるゲイサークルにアクセスをしました。そのサークルの存在は知っていましたが、なかなか躊躇して近づくことができなかったのだけど、連絡してみるとなんてことない、自分と同じような見た目の普通の男子大学生の先輩が迎えにきてくれて、いろいろ話をしました。
そのサークルにアクセスしたことが、自分にとってのゲイデビューでした。
その後、先輩に2丁目の飲み屋を案内してもらったり、大学生ナイトに参加したりと、すっかりゲイライフを謳歌する大学生の仲間入りを果たしました。
もちろん、これまで通り学業もサークル活動も疎かにすることなく、程よく遊びに出るようになり、ゲイの同年代の友人もたくさんできて、無事22歳のときに大学を卒業しました。
これが、自分にとってのゲイデビューの馴れ初めです。
皆さんはどんなゲイデビューでしたか?