人生の夏が終わり、秋が来る―40歳を迎えて改めて「自由」と向き合う

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どうも、英司です。
この前2024年の締めくくりのエントリをUPしたばかりと思っていたら、早くも2月。
そして私事ではありますが、今年2025年2月6日に40歳となりました。
かつて若い頃はずいぶんと大人だと思っていた30代がついに終わり、その「かつて大人だと思っていた年齢の人たち」が全員年下となったことになんとも言えない哀愁が漂います。

いくつになっても、いざ自分がその年齢やポジションになると「思ったより大したことはないわ」と言う感想が出てくるのは世の常ですが、さすがに40代ともなるとそれなりの重みを感じるのもまた事実です。それは両親が若かった頃の生活や社会はどんなものだったかは知らないけれど、両親が40代だった頃の生活や社会状況の記憶はすでにハッキリあるというのも影響しているでしょう。

私の場合30代最後の年であった39歳の時に、両親の相次ぐ他界という出来事も経験しました。自分がもし平均的な寿命をまっとうできるのであればちょうど人生も折り返し地点。まだまだ気持ちだけは若いつもりですが(笑)人生における大きな節目でもあると思うので、今回ブログを書こうと思いました。

人生の夏の始まりと、「自由」を持て余していた20代

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人生をもし四季に例えるとするなら、10代の思春期や青春時代が文字通り「春」でしょう。そして、私にとって20代と30代の20年間はまさに人生における「夏」でした。
学生を卒業すれば親から独立して、自分で稼いだお金で自分の選んだ街に家を借り、自分の選んだ仕事をして、それ以外の時間は何をやっても自由です。

20代ー。


世の中には驚くほどの選択肢があることに戸惑う日々だったと思います。学生時代の重大な選択と言えば、中学校を卒業するときに公立に行くか私立に行くかとか、高校を卒業したら就職するか専門学校に行くか大学に行くかくらい。
その中でも、よほど裕福な家でない限り無条件に何でも好きなことをやらせてあげられるということはなく、多くの人は与えられた条件の中での可能な進路を選び取っていく、それが学生時代までの「自由」だったと思います。

私の両親は、私が末っ子だったということもありあまり口うるさくあれこれ干渉してくるタイプではありませんでしたので、学生時代も比較的自由に過ごしていたと思います。
しかしそれでも当時を振り返ると、就職をし、親元から独立した22歳の私にとっては身に余るほどの「自由」を手に入れ、半ばそれを持て余していたのがあの日々だったと思います。

その時に手にした「自由」は、学生時代までのそれとは違って大きな責任を伴う自由です。

職業選択の自由と言えば聞こえは良いですが、大学生の頃に自分なんかが知っている世の中の職種や業界なんてほんの一部だったと思います。そんな中で選んだ会社や仕事が自分に合っているかなんてわからないし、世の中に出てから初めて知る仕事の存在だってたくさんある。

できれば自分に向いてること、得意なことを仕事にしたいし、それが叶えばきっと人生は良くなる…とは思いつつも、未経験者でも受け入れてくれる求人なんかはほとんどが20代限定。
だけど黙ってようが遊んでいようが嫌々仕事をしていようが、20代の終わりは刻一刻と近づいてくる事実。

「ここではないどこかに、より良い世界があるかもしれない」という思いと「そんな青い鳥症候群は幼稚だ。好き勝手に過ごしていたら後で痛い目を見るに違いない」という正反対の考えの間で常に揺れ動いていて、しかもこんなことでフラフラと悩んでいられるのもきっと若い今のうちだけなんだろうという、薄っすらとした焦燥感のようなものを常に抱えていたのが20代前半から後半頃にかけてだったかと思います。

私は20代のときに複数回転職もしましたし、失業もしました(笑)
本当にいろいろあったと思います。
まだまだ人生経験も知恵も十分にない中で、大事な選択や決断をしないといけないことがあまりに多い。その一方でまだまだ遊びたい盛りで、邪念も雑念も煩悩もどんどんと紛れ込んで来て選択に影響を及ぼしてくる(笑)

20代の日々を一文で表すと「ものすごくしんどいけれど、ものすごく楽しかった」という表現がピッタリです。

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自分のしてきた選択が良かったのか悪かったのかなんて、今すぐにはわからない。だけど大して背負ってるモノもないから、いざとなればその日暮らしの生活でもなんでもすれば良い。
仮に人生がリセットされたとしても失うモノなんてたかが知れているしそれは大した問題ではない。

今思うと、「自由」とそれに伴う「責任」のバランスにおいては、負っている責任が軽いのに、享受している自由が圧倒的に勝っていた。
そして、無限に湧き出てきた体力(笑)
ノンケにしろゲイにしろどんどん友達が増え、行動範囲も広がり続け、何もかもが新鮮な体験だった。

あの未来が定まらない不安定さや成長痛のような痛み、常に感じるかすかな焦燥感も、新たな体験に感じる楽しさや新鮮さ、持て余すほどに(無自覚に)持っていた自由の価値が明らかに上回っていて、だからこそいろいろ悩みながらも、総じて楽しかったなぁと思うことができているのだと思います。

人生の盛夏!「自由」を謳歌した30代

翻って、30代は不安や焦燥感よりも圧倒的に「楽しさ」が勝っていた10年間でした。
20代の頃に感じていた未成熟ゆえの感情が消え始め、まぁまぁ時々失敗をしながらも自分自身がしてきた選択や価値基準に少しずつ自信を持てるようになってきたのは、ちょうど28歳とか29歳とか、それくらいだったと思います。
今思えば、その時すでに30代に突入するための助走に入っていたんだなと思います。

個人的なことで言えば、27歳で今の勤務先に入社し(29歳~30歳まで一時的に別の会社に転職しましたが、その転職は結果的に失敗で出戻りました・笑)今では毎年恒例行事となった夏に開催しているプールパーティ「Tinkerbell」を始めたのも28歳のとき。30歳で現職に出戻ってからはいろいろありながらも仕事も概ね順調で、プライベートでは33歳のときに初めての、38歳のときに2作目の小説を発表することもできました。

公私ともに、30代の10年間は非常に豊かな人生経験を得ることができました。なんとなく自分の選択に対する「手応え」を感じ始めたのも30代前半の頃です。

うまく言えないのですが、「自分の人生は、本当に自分のものなんだ」という実感が湧いてきたのです。
20代の頃は今よりずっと自分に自信がなく、それでいて他人の目ばかり気にし、本当はいろんな不安や悩みを抱えている凡庸な人間なのに、人からそう思われたくないという思いも強くて背伸びしたり、強がったりしていたのをよく覚えています。あの頃、時々自分自身が、何か本当の自分ではないような気分になることがありました。本来「こうありたい」という自分と、実像の自分の間に果てしない落差があったのだと思います。

しかし、30代を迎えて少ししてからそういった感覚も抱かなくなっていきました。
それは、20代を通してたくさん悩み、たくさん遊び、多くの失敗を経ながらも自分なりの価値基準が確立され始め、その基準で導き出してきた解に自信を持てるようになり始めたからだと思います。

「自分の人生は、自分自身がしっかりコントロールできている」という実感を確実に得て行きました。この感覚を持てたことで、他人からどう思われたいとか、他人と比べて自分はどうとか、そういうことが実にくだらない問題だと感じるようになって行きました。

20代の頃よりも考えなくてはならないことや抱えるものも増え、明らかに「自由」に伴う「責任」の比重は徐々に高まっているのに、かつて20代の頃の自分には身に余る代物で持て余していたその「自由」を、心から謳歌していた。それが私にとっての30代の日々でした。

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30代最後の年に起きた衝撃…

前回のエントリでも書きましたが、2024年、私が39歳の7月に父が、その2ヶ月後の9月に母が相次いで他界しました。私も、まさか30代にこの日を、しかも2人続けて迎えるとは夢にも思っていませんでした。

30代の終わりとともに訪れた両親との別れは、私の価値観や死生観を変えるには十分すぎるほどの出来事でした。
そしてそれは、人生におけるひとつの節目を迎えたことを意味しています。ひとつの季節が終わり、新たな季節を迎えることを意味する出来事だったと感じています。

つまり、20代と30代の20年間が夏だったとしたら、いよいよその夏が終わりを迎える時が来た。
もう成人して随分経ちますが、それでも親にとって子供はいつまでも子供のままです。そういう意味で、私はついに「誰の子供でもなくなった」わけです。

母が亡くなり、悲しむ間もなく葬儀の手配や手続きをし、きょうだい3人ともヘトヘトになりながら「それじゃあ、また葬儀の日に」と別れました。姉2人は家に帰れば自分の築いた家族が待っています。しかし私の高円寺の部屋ではAlexaくらいしか私を待っていてくれません。
その事実を理解したあの瞬間の、なんとも言えない一抹の寂しさは一生忘れないでしょう。

だけどこれも、今までの人生で私が下してきた選択や判断の連続線上にある事実です。一瞬寂しい気持ちも感じましたが、それでも私の人生にとって「自由であること」は重要なことで、その時感じた寂しさを打ち消して余りあるほどに、30代は自由を謳歌し、人生にとってハイライトとなるような瞬間もたくさんあった素晴らしい10年間でした。

40代、人生における「秋」が始まる

私はプールパーティなども主催している関係で、夏が好きな人間だと思われがちですが、実は個人的に一番好きな季節は秋だったりします。

何をやるにも快適な季節で、時に行楽に出かけてアクティブにもなれるし、時に読書や芸術なんかを楽しんで思慮深くもなれる、非常に豊かな季節だと思います。

ある意味で40代は、20代や30代に下してきたさまざまな選択や判断の「答え合わせ」のようなシーンに直面する場面も出てくると思います。それはちょっと怖いような、楽しみなような、少し複雑な心境ですね。

一方、春や夏に蒔いた種が実るのも秋です。

20代や30代の頃の経験を通して得た教訓が「知恵」へと昇華され、より人生が豊かで地に足のついたものになっていく、そんな40代にしていきたいと思っています。

最後に、感謝を込めて

こちらのブログを始めたのも私が20代半ば頃のことです。
その時からの読者の方はもちろん、SNS等で繋がっていて今回こちらに来てくださった方、私のリアルの友人などさまざまな方がこちらの文章を読んでいると思います。

私は特段すごい能力を持った人間でも、富や名声を築いた人間でもありません。
ただ、とても運の良い人間だと自分では思っています。

こうして様々な皆さんとインターネットやリアルを通して知り合うことができたのも、私にとって幸運なことだと思います。

改めまして、ありがとうございます。
今後とも、よろしくお願いします。

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