ミレニアル世代の私が見た大阪・関西万博―「今」を起点に縦と横の軸で広がる世界

社会
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どうも。ご無沙汰しております。
昨今は生成aiの普及とともに、以前は仕事でも文章を書く機会も多かったのですが、すっかりAI頼りになり気づけばマトモに1から10まで文章を組み立てる作業は、このブログのみとなってしまいました。まるで最後の砦です。

そのためか、書きたいテーマがあっても以前のように軽い気持ちで筆を取る気になれず、気付けば時流を逃している…ということが続いておりました。

今回もちょっと時流とはズレた内容にはなりますが、せっかく行った万博について、私の生きてきた時代性などと絡めながら書いていきたいと思います。

東京五輪の醜聞に足を引っ張られた大阪万博の初動

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万博は当初、在京のマスメディアからの激しいネガティブキャンペーンが展開されていました。
私自身も、当初は万博にハコモノの公共事業のようなイメージがあったことと、東京五輪を巡る広告代理店や行政との癒着や談合、票の買収などの見るに耐えない醜聞が次から次へと出てきた記憶がまだ新しく、そこまで積極的に開催に賛成!という気持ちにはなれず「やりたいならやれば良いんじゃない?」という少し冷めた気持ちでした。

当初、万博への冷めた世論や反対の声がそれなりに支持を得ていた背景には、マスコミによるネガキャンに加えて私のように東京五輪に絡む数多のスキャンダルであったり、未だ有効活用されていない五輪関係のために建設したいくつものハコモノを目にするたびに「結局無観客でやるはめになったし、あんなにお金を使って、あんなに(コロナ禍で)我慢させられて開催を強行したのに、一体誰が得したんだよ」という”大きな声では言っちゃいけない本音”が呼び起こされてしまう人もそれなりにいたことがとても影響していたと思います。

ただ、万博も開催が近付いて来るにつれ連日連夜繰り広げられてきた在京マスコミによる行き過ぎたバッシングにもウンザリして来て「やると決まったのであれば、もう思い切って世界一楽しい万博を目指して欲しい!」という気持ちに変化し、自分も開催期間中に一度は行ってみようと思いましたが、あれよあれよと梅雨に入り、夏が来て、とてもじゃないけど1日中外出できる気候ではなくなってしまい、「涼しくなったら…」なんて言っていたけど結局いつまで経っても涼しくなんてならず、気付けば9月に、と言った感じ。
結局駆け込みで9月26日になんとかチケットを取ることができました。

純粋に楽しかった

9月はじめにチケットを取ったのですが、すでに狙っていた9月26日の朝イチのチケットは売り切れ。12時の東ゲート(地下鉄出口近くなのでとても混んでいるゲート)しか取れませんでした。
当初からとんでもない混雑と聞いていたし、事前予約チケットの抽選も全滅していたため、「大屋根リングと万博のムードを楽しんで、どこかの国のキッチンカーで異国料理を少し楽しめれば良いか」くらいの気持ちで望みました。

しかし今は本当に便利な時代。Youtubeなどで「待たない割に楽しいパビリオン」なんかを紹介している動画を片っ端から見てなんとなく頭に入れて、当日の混雑状況を見ながらできれば1つや2つはパビリオンに行きたいな、といった心持ちで大阪へ。

噂通り手荷物検査でものすごく並んだので結局会場に入れたのは13時頃でしたが、以下の5つものパビリオンに行くことができました。

  • マレーシア
  • シンガポール
  • インド
  • トルクメニスタン
  • インドネシア

評判の良いイタリアやフランス、アメリカ、クェートなどは最初から諦め、事前情報でいわゆる「タイパ」が良いパビリオンを狙い撃ちしました。

散々な前評判と違い、純粋にすごく楽しかったです。

事実上の鎖国政策を行い、観光ビザすらなかなか手に入れない謎多き国「トルクメニスタン」のパビリオン。独裁国家ということもあり、先進国並みの力の入れようでした。
マルタ共和国のレストランで販売されていたサンドイッチとビール。日本では食べたことのない食感のパンで、とても美味しかったです。

思ったほどに説教臭さがない

米ソがしのぎを削り合い、軍事転用が可能な科学技術が中心だった1970年の大阪万博と違い、今回は環境への配慮や自然との共存、人々の暮らし向きがよくなるための技術、という大テーマがあり、これだけ聞くと「SDGs」が頭を過ぎります…。

個人的にああいった「意識が高い系」はあまり得意ではないため拒否感が出てしまっていたのも、当初の冷めた気持ちの理由の一つでした。
新幹線代とチケット代を払い、長い時間をかけて大阪まで行き、並んでやっとパビリオンに入ったら「環境のために我慢して不便な生活も受け入れよう!」的な説教を聞かされでもしたら憤慨していたと思います(笑)。

ただ、意外にも会場内で「SDGs」の文字はそこまで見なかったのと、どの国もいかに楽しく自国が開発しているテクノロジーを紹介できるかに趣向を凝らしており、説教臭さなんてなく自国が取り組んでいる技術が結実すれば、今よりもずっと良い暮らしが待っている、という方向性の展示ばかりでとても前向きになれる内容でした。

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よく考えれば、どのパビリオンも万博への出展は国家の威信をかけたショーケースと位置づけていて、採算度外視で最新鋭のテクノロジーを使いこなして自国の紹介をするわけですから、それは面白くないわけがないんですよね。
万博での展示を通して世界から投資や人材を呼び込むという狙いもあるわけですから、それは各国のトップクラスの優秀な人たちが知恵を絞り合って良いものを作ろう!と意気込んで日本の大阪まで遥々やってきているわけですから、よく考えればとても贅沢な体験をできる場なんです。

東京でもなかなかお目にかかれない北アフリカ料理。オリーブと鶏肉とスパイスを炒めてクスクスと一緒に食べます。本当にここでしかできない食体験で、これぞ万博の醍醐味でした!

万博は子どもや若者たちのためのもの

何やら最後まで万博を批判していた活動化系のお婆さんの記事をこの間見かけ、「見ないで批判するのも筋違いだと思って一回だけ行ったが日本がダメな国だと改めて実感した」だとか、「つまらなかった」だとか寄稿していましたが、言っちゃ悪いけどこれは当たり前のことだと思います。

なぜなら、万博はこれから自分の国に仕事や遊びで来てほしいという思いで各国がパビリオンを運営しているわけですから、その呼びかけの対象は主に子どもたちや若者なんです。
これからの世の中の主役になる子どもたちや若者たちに「いろいろな国の人たちが今より快適な生活ができるよう知恵を絞り合っている」ことさえ伝われば成功なんです。最初から批判ありきで訪れたご老人までもを満足させる必要はありません。

「この日常の延長線上」にある夢の世界

最近私は度々姪に誘われてディズニーリゾートに行くことが多く、私自身はそこまでディズニーファンではないのですが行ってみるとやはり楽しいものです。今やチケットは1万円超えで私が高校生や大学生の頃の倍くらいになっていてビックリしますが、それでも帰るときに「なんか今日微妙だったよね~」なんてなることはなくて、ちゃんとその金額に見合う「楽しさ」を提供してくれます。

ただ、良くも悪くもディズニーのようなテーマパークは「非日常」を味わうところであって、夢と魔法の国もゲートをくぐってしまえばそれでおしまい。

でも万博の良いところは、あそこで見た様々な国の文化は非日常ではなく「日本人ではない他の国の人たちが今日も送っている日常」であって、あそこで目にした夢のようなテクノロジーは「いつか来る日常」なわけで、すべてが「今この瞬間の現実世界」を起点に、横(他の国の文化)へと広がり、縦(未来のテクノロジー)へと広がっている世界観の中で楽しめるイベント、それが万博なんだと深く実感しました。

聞くところによると、55年前の大阪万博では携帯電話が試せるブースやビデオ通話ができる電話に数時間という長蛇の列ができたんだとか。1970年の日本人には「こんなの本当に普及できるの?」と半信半疑で受け止められた未来の技術だったそうですが、実際に携帯電話はその後20年もしないうちに登場し、ビデオ通話なども初期のスカイプによるビデオ通話などは前の大阪万博の約30年後にあたる2000年代の前半にはもう普及していました。

それを考えると、あの場で見たものがどれだけ実現するかはとても楽しみであり、ゲートをくぐったあとも、あそこで見聞きしたものがこの現実世界にあるもの/起きることであると考えられ、とても明るい気持ちで帰ることができたと思います。

「失われた30年」を生きてきて

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私は今年40歳のミレニアル世代。バブル期はまだ幼くあまり記憶がありません。物心がついたときには平成大不況と言われ、10代の頃を通して日本経済は史上最悪級の暗黒時代。2000年代前半には「失われた10年」と言われました。

2010年代に入ってやや景気は持ち直しましたが、税や社会保障の負担増に追いつくほどの所得の上昇までは達成できず、今度は「失われた20年」と言われ、2020年にはそれが「失われた30年」になった。これはどうしようもない事情ではありましたが、2020年から数年はコロナ禍もあったため、最近では「失われた35年」というワードも聞かれるようになっています。

現在40歳の私からすると最悪です。失われていない時代を知らない(笑)。
でも、この年になると「いつの時代も人はそうやって時流や社会を憂うものであって、逆にその気持ちがなければ世の中は発展しない」ということもわかってきて、悲観的な言論をあまり真に受けなくなりましたが、若い頃は違かった。

そんなことは理解していなかったし、実際に経済全体で言えばものすごく悲惨だった。聞いたことのある大企業や銀行までもが次々と潰れ、リストラの嵐。失業者が溢れ、日経平均は7,000円くらいにまで落ち込み、土地の価格の暴落ぶりなんかは目も当てられない状況でした。

そういう時代背景もあって、自分なんかは世の中が今より良くなるイメージを抱くことができない世代だと思っています。

私の思春期から青年期にかけての超長期的なデフレの間は「何もしないこと」が正解でした。
投資をすることも、起業をすることも、転職をすることさえも「リスクのあること」として忌避されて、「何もしない現状維持」こそが正解という価値観に世の中があまりに慣れすぎてしまっていたと思います。そういう中で、自分は何のリスクも取らずに一生懸命な人を冷笑するような人やニヒルなスタンスの人が持て囃されるような悪弊も生じていたように思います。

こうした時代を生きてきた人間として、素直に未来に対して明るい印象を抱けたというだけで、眠い中朝早い新幹線に乗ってすごい混雑に見舞われながらも万博に行けて良かったと思いました。

東京五輪のリベンジ成功!

比べるものではないと思うのですが、私は大阪万博で東京五輪のリベンジを果たせたと思っています。
思えば東京五輪は、楽しみにはしていたものの多数申し込んだチケットは全部ハズレ。素人目に見ても「これ五輪終わってから大丈夫なのか?」と思うようなハコモノが臨海部を中心に次々と建設され、そんな中をコロナ禍が襲い1年の延期を経て無観客で強行されました。

しかし、東京五輪は純粋に楽しむことができませんでした。同じ東京に住んでいるのに本当にやっているのかどうかもわからないくらい、遠いところでやっている知らないイベントと言った感じ。

当時の政府や東京都も「東京五輪を成功させるため」というお題目の元に庶民に我慢を強いました。東京五輪のタイミングでコロナ感染者を増やさないために運動会も文化祭も修学旅行もすべて中止。政府や東京都、JOCは「オリンピック選手にとっては一生に一回の晴れ舞台なのだから、都民は少し我慢してほしい」と言うけど、当事者たちにとっては中学や高校の修学旅行だって一生に一回でしょう。小さな子どものいる親御さんからすれば、知らない人たちのスポーツ大会よりも我が子の運動会の方が大切だろうけど、そういうことも言えない圧力があの時は確実に世の中を支配していました。

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個人的なことで言えば、2020年の夏は何もできなかったけど、2021年は逗子のビーチがオープンするとのことで、毎年行きつけの海の家で友人たちと恒例のBBQをする予定でした。前年できなかった分すごく楽しみにしていたのに、7月の中旬に突如ビーチの閉鎖命令が出て、それも「東京五輪の成功」という目的のため。

逗子の海の家はフルで営業できるものだと思って建設されたのに、たった3週間も営業できずに閉鎖です。このせいでとんでもない負債を追った事業者もいたと聞きます。
それなら最初から2021年も閉鎖しておいて欲しかったですし、事業者に多大な迷惑をかけ、期待だけさせて利用者を落胆させて、本当に何から何までバカらしかったのを覚えています。

このように、東京五輪成功のために我慢させられたこと、強要された理不尽なエピソードは枚挙にいとまがないのですが、それをすべて並べていたらそれだけでブログ1本分になりそうですよ(笑)

こうした背景から、選手の方々には本当に申し訳ないのですが当時は「東京五輪」というワードすら聞きたくなくて、テレビはもともとあまり見ませんがYahooニュースの主要ニュースに東京五輪のワードが出てくるだけでムカつくほどでした(笑)

そしてやっと終わった東京五輪も、次から次へとお金関係のスキャンダルが相次ぎ、正直言ってもう完全に愛想が尽きたと言った感じです。

世界最大級の祭典が自分の住む東京で開催されているのに、一切それを楽しむことはできず、むしろ非常に「負」の記憶となってしまった。

しかし大阪万博は違いました。
それは私たちに何か我慢を強いるものではなかったし、他に主役がいて、その人を応援する五輪とは違って、ゲートをくぐれば主役は「来場者自身」です。
確かに並びはしましたが、パビリオンに入れば自分が主役として最新鋭のテクノロジーを駆使してどの国も自国を紹介してくれる。

五輪と双璧をなす世界的な祭典である万博に、その一員としてちゃんと参加して楽しむことができたという実感を得ることができました。それも自分が住む東京ではなく、決して近くはない大阪で開催されているのに、です。

最後に

コロナ禍という特殊事情があったにせよ東京五輪に関してはちょっと辛口になってしまいましたが(笑)、その五輪のイメージを引きずったまま「日本はもうそういう世界的な祭典なんて誘致しないで欲しい」とネガティブになり、実際に体験せずに批判的になってしまわなくて良かったなと思います。

本当に遠い中行った甲斐がありました!もう私が生きているうちに国際万国博覧会が日本に来ることはないと思いますが、どうかあの万博で披露された技術が今の子どもたちや若者たちの心を動かし、明るい未来を作るきっかけになればいいなと思います。

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