どうも、英司です。アメリカ大統領選、私も固唾をのんで見守っていましたが、まさかの番狂わせでトランプ氏が次期大統領として選出されました。
度々に渡りマイノリティに対して暴言を放っていたトランプ氏ですので、率直に言って今後のアメリカにおけるLGBT施策がどのような展開を見せるのか心配です。
しかしながら、この結果は現在のアメリカ社会が持つ空気感を読み取るのに非常に示唆に富んだ出来事だと筆者は考えました。
我々が思っていた以上に疲弊していた大国・アメリカ
ここ数日、マスコミやネット上でも盛んに言われている言葉のひとつに「ポリティカルコレクトネスの敗北」というキーワードがあります。
ポリティカルコレクトネスとは、もともとは「政治的・社会的に公正・公平・中立的で、なおかつ差別・偏見が含まれていない言葉や用語」という意味ですが、こうした文脈では「政治的正しさ」と解釈するのが妥当でしょう。
暴言を繰り返すトランプ氏は、その「ポリティカルコレクトネス」とは正反対にいた人物でした。その彼がなぜ大統領に選ばれたかと言えば、それはやはり、私たちの中で「強い国」というイメージのあるアメリカ合衆国が、私たちが思っていた以上に疲弊した国になっていたということでしょう。
「LGBTはアンチトランプであるべき」という主張
アメリカのゲイ向けニュースサイト「GAY STAR NEWS」によると、LGBTの中でも約14%の人が、トランプ氏に投票したという調査結果を発表しました。
ただ、事前の世論調査ではヒラリー氏への支持が集まっていたのに、蓋を開けてみるとトランプ氏が当選した理由を、対人的調査において「トランプ支持」を表明しづらい空気があったと複数メディアが分析しているように、ここで言う「14%」という数字はあくまで最低数値であり、実際にはもう少し高い割合のLGBT当事者がトランプ氏へ投票していたとも考えられます。
しかし、この「14%」の人たちを「LGBTのくせして何を考えているんだ!」と弾劾するのは、少し待って欲しいと筆者は考えます。
LGBTであることは、数ある基本属性のひとつでしかない
彼のマイノリティへの過激な発言は当然、看過できるものではありませんし、それによって傷ついた人もいたことでしょう。まだ「候補者」だった頃とは言え、一国の大統領を目指す者として感心できるものではありません。
しかし一方で、彼に投票したLGBTをただちに弾劾裁判にかけるような動きにも、筆者は賛同しかねます。
今回、トランプ氏が狙いを定めたのは、「忘れ去られた白人中間層」と呼ばれる白人労働者層でした。
トランプ氏の主張は、発言が過激でよく極右と見られがちですが、彼の主張する経済政策は大規模な公共事業の推進による雇用確保、NAFTAやTPPなどのグローバル資本主義の否定、一部の投資所得への増税など、伝統的に共和党が党是とする「小さな政府」とは真逆の、どちらかと言えば国内労働者に向けた左派傾向が強いものです。
それが、彼が「白人中間層を中心とした労働者から人気を得た」と言われる所以です。(公共事業の推進と言っておきながら、大企業には減税を約束しているので、財源はどうするの?という問題もありますが…)
話をLGBTに戻すと、LGBTの中にも当然様々な人種、宗教、職業、経済的階層の人々がいます。その中には当然、働けど働けど給料が上がらず(もしくは仕事すらなく)、それでいてこれまで中央政府や政治家は自分たちのために何もしてくれなかったと感じている層がいたであろうことは想像に難くありません。
つまり彼らにとって、喫緊の政治的課題は「LGBTの権利向上」ではなく、「なんとかして今の生活を変えたい」ということであり、その望みをトランプ氏のあの「突破力」に託すという賭けに出たということだったのだと思います。
人は様々な基本属性を日々行き来しながら生活しているものです。トランプ氏に投票したLGBTにとって、今回の選挙においては「自分がLGBTである」というアイデンティティよりも、「働く者の1人である」というアイデンティティの方がただ優先された、というだけであって、彼らを「レイシストの仲間だ」なんて言って弾劾するのは少し待って欲しいです。
アメリカ人ってすごく単純!?
もうひとつ考えられることは、アメリカ社会に「ポリティカルコレクトネス疲れ」が起きていたのでは?ということ。
ここ数日、ネットを中心に「ポリコレこん棒」という言葉が出現しました。
この言葉が使われている文脈を見てみると、恐らく「正義や正論を振りかざして自分の意見に賛同しない人間を叩きのめす人」のことを指しているようです。
私もこれまでに述べたアメリカ社会の状況から言って、「トランプ大統領の誕生に一定の理解を示さざるを得ない」という旨の発言をSNSでしたところ、やはり一部で激しい批判に遭いました。
その批判とはやはり、「LGBT当事者であろうあなたが今回のアメリカの選択に理解を示すなどありえない」「あなたには正義感や正しい見識がないのか」というものです。
さながら私は一瞬で「LGBTの敵」「レイシスト」扱いです。
※しかも、私が発言したのはトランプ大統領の誕生に一定の理解を示さざるを得ない、という内容であり、『トランプ氏支持』とさえ言っていません※
今回トランプ氏が巧みだったのは、これまでも政権中枢で政府要職を担ってきたヒラリー氏をこうした「正義」とか「政治的正しさ」などと言った「ポリティカルコレクトネス」の象徴に見立て、自分はその対極にいる人間だという対抗軸を作るのに成功した点です。
一般庶民からすると、「正義」や「正しさ」というのはカッコイイものであると同時に、都合よく歪曲されやすいものでもあり、時に攻撃の道具に使われるもので、ひとことで言うと「めんどくさい」ものであるのも事実。
アメリカ人というのは良くも悪くも単純な国民性で、こうした「正義」や「正しさ」が充満した社会に一種の息苦しさを感じていた層がいたことも事実で、そういう人たちにとってはトランプ氏の暴言の中身などハッキリ言ってどうでも良く、投票所で身の回りにいる「正義を振りかざしてくるめんどくさい奴」の顔を想像しながら、半ば投げ捨てるようにトランプ氏に票を投じた、というようなライトなノリで投票してしまった人も結構な数いたのではないかと想像します。
本当の「多様性」を実現するために
LGBT当事者でありながら、トランプ氏に投票した人や、そのアメリカ合衆国の選択に理解を示す人を批判する向きもありますが、これは実はとても危険なことだと筆者は考えます。
LGBTという自分の力では変えられない基本属性を引き合いに出し、「LGBTならこう考えるべき」「こういう行動をすべき」という言説は、ある特定の基本属性を生まれ持った者は、ある特定の主張をしなければならない(してはいけない)という論理になり、その人の出自によって主張に制限をかけるという大変危険な思想です。
本来の「多様性がある社会」とは、生まれ持った出自や門地、基本属性に関係なく、どのような思想信条を持つことも許される社会のことであり、「多様性」という言葉を、自分に賛同しない人間を攻撃する武器にしてはいけません。
私も、今回のアメリカ合衆国の選択は驚きと落胆を持って受け入れました。オバマ政権時代に進んだアメリカ国内のLGBT施策が停滞、もしくは後退することは避けられないことだと思います。
ただ、そのオバマ大統領が選挙から一夜明け、発表したコメントの中に、若者に向けて送ったメッセージがあります。
「勇気を持て、シニカルになるな、自分は変化を起こせないと思うな。時には負ける。ある者が前進と思うことが他者には後退なこともあるが、それでいい。国が辿る道はジグザグだ」
オバマ大統領が言うように、国が辿る道はジグザグ。それにアメリカという国は毎回、大きく振り子が左右に振れる国でもあります。これまでのアメリカ政治を見ていても、アメリカ国民は悪く言えばワガママ、良く言えばバランス感覚を持っていると思います。
しばらくは冬の時代が訪れるかもしれません。しかしアメリカ国民の選択を批判する権利は、私たちにはありません。
時に自分の望まない結果を受け入れなくてはならず、多様性とは、本来苦しいものだと思います。ただ、明けない夜はない、終わらないトンネルはない、そう信じて今後の動向に注目していきたいと思います。