Twitter凍結事件以後に見えてきたもの-知らず知らずのSNS疲れに気づく

社会
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どうも、英司です。
世間はすっかり新型コロナウイルス一色になっていますが、皆様は無事でしょうか。
私はと言いますと、2月中旬頃にTwitterアカウントが凍結されてしまいました。

凍結の基準はよくわかりませんが…

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凍結の原因はよくわかっていません。
以前に、私と意見の合わない方々がTwitter上にて、私を差別的なアカウントであると通報するように呼びかけているのを見たことがありますが、そうした通報が相次いだものと思われます。

こちらのブログをご覧の方、また、Twitterで私と繋がっていた方はわかってくださるとは思いますが、私は差別的発言や特定の人を罵倒、攻撃するような行為は行っていません。むしろ、かなり発言には気をつけていた方です。

(自らを人権主義者と自称しながら、意見が異なる人を悪と決めつけ、罵倒・誹謗中傷する人たちに対して批判的な発言はしており、度々そうした人たちから「人権派の俺たちを批判するなんて、お前は差別主義者だ!」というお叱りは受けていましたが。)

しかし、Twitter社も明確な凍結理由を開示しませんし、異議申し立て後も自動返信メールが来るだけでほぼ異議申し立て内容も目視していないものと思われますので、あまり無駄な労力はかけたくないため、もうアカウントの復活は諦めています。

※2020年4月15日追記※

本日、突如としてかなり前に利用していたアカウントが凍結から復活いたしました。直近に利用していたアカウントではありませんが、現在はその復活したアカウントを利用して再開しています。

知らぬ間に蓄積していたSNS疲れ

凍結はとても困ります。
と言うのも、何度かこちらのブログでも書いている通り、私は夏にプールパーティを主催しており、そのプロモーションにも少なからず影響が出るからです。

ですので、いずれはVPN接続等で、これまで利用していたのとは無関係なIPアドレスからアカウントを再作成しようとは思っています。ただ、約1ヶ月半Twitterから離れてみて、気づくこともありました。

というのも、私も知らず知らずのうちにSNS疲れをしていたのでは?ということです。

9年前の非常事態時にSNSで起きていたこと

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2020年4月現在、新型コロナウイルスの蔓延は世界的な規模に達しており、私の暮らす東京でも自粛要請が相次ぐなど、深刻な状況です。

こうした状況で思い出すのはやはり、2011年の東日本大震災のときのことです。

当時、報道で繰り返し流される震災時の東北地方の映像により精神や体調を崩す人が続出しました。悲劇的な映像は、知らぬ間に精神的な疲労を引き起こすというのを様々な精神科医の方々が指摘されていました。

しかし、私はどちらかと言えばあの時、SNSを見る方がしんどかったのを記憶しています。今ほどフェイクニュース対策が世間で叫ばれる前だったこともあり、不安を煽るデマが横行していました。

これに加えて、日々深刻化する原発事故に伴う停電・節電処置が更に不安感を増幅させました。これに便乗するかのように、原発事故を「資本家(≒大企業)vs労働者」という階級闘争の文脈に持ち込んで激しく糾弾し、戦後のエネルギー政策は保守政権が進めたものであるので、保守政党を打倒しなければならないなどという主張が散見されるようになるまでに、そう長い時間がかかりませんでした。

日本は言論の自由が認められた国ですので、もちろんこのような批判をする自由はあります。実際、電力を始めとするインフラ企業は政府や行政との距離も近すぎるが故に、様々な利権の温床となるのも事実で、このあたりの議論は必要です。ただ、自然災害直後の混乱期に怒り狂うような話ではない、というのが私の実感でした。

普段から人権を守れと声高に叫びながら、福島県の人々に差別的な眼差しを向け追い詰めて来た人たち。大きな被害がなかった地域の人が通常通りの生活を送っているだけなのに、それに対して「不謹慎だ!」とクレームをつける不謹慎警察のようになる人たち…。

徐々に震災や原発事故に関する重要な政府の発信情報や要請情報そっちのけで、震災や原発事故を自らに都合の良いイデオロギー闘争に持ち込む人が現れたり、誰かを攻撃する理由ができたと浮足立ち、普段の鬱憤を晴らす目的に思える人が出てきたりと、SNS上はあっと言う間に不安、怒り、デマで溢れかえり、また、このようなマイナスな印象を与える情報はとても増幅しやすく、あの時もしばらくTwitterを見なくなったのを思い出します。

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非常事態時のSNSはこうなる宿命なのか?

私がTwitterを利用していた2月中旬頃は、ちょうど武漢が閉鎖され、中国でかなりの厳戒態勢が敷かれており、日本にも少しずつその魔の手が忍び寄っていたくらいの時です。当時、日本はまだ今ほど深刻な状況ではなかったものの、一部では9年前の震災の時と似た現象は起きつつありました。

主に私がうんざりさせられたのは、普段から中国などをイデオロギー的に良く思っていない人たちによる、過剰な中国バッシングです。中国政府を批判する、もしくは、勝手な行動を取る個人を批判するならまだしも、日本に住む中国の方一般を貶めるような発言が目立ち始めていました。

挙げ句、新型コロナウイルスは中国が研究していた生物兵器だという陰謀論まで出回り始めます。

私も、こうしたオカルト的な話は一部の物好きが冗談半分でやることで、特に気にはかけていませんでしたが、普段から尊敬していた論客の方や、平時は大変理知的だと思っていた方々の一部もこうした言動を取るようになり始め、とても幻滅しました。

こうした言動はエスカレートし始めており、私のツイートにこのような陰謀論についてどう思うか(明らかに同意を求めている)、というリプライがついたり、中国人一般を罵倒・誹謗中傷するようなコメントをし、私に同意を求めるようなリプライもついたりするようになり始めました。

私は、震災や原発事故と同じく、公衆衛生に関することに「イデオロギー」を持ち込むのは大変ナンセンスだと考えます。

今や新宿二丁目も様々な国籍の人たちが行き交う時代、私にも様々な国籍の友人がいます。その中にはもちろん、中国籍の人も多く、彼らは昼間仕事をして週末や夜は一緒にご飯をしたり遊んだりする、私と一切変わらない生活を送る一介のゲイであり、私も今回のコロナウイルスの件で中国政府に関して思うことは多々あっても、それは彼らとは無関係なことであると認識しています。

そうした友人ともたくさん繋がっていたTwitterで、こうしたリプライが付くことは大変迷惑であったし、それが普段理知的だと思っていた人などであると、その幻滅具合も多大なるものでした。

その後すぐに私はアカウントが凍結されたことによってTwitterは見なくなりましたが、先日志村けんさんが亡くなった際にTwitter上には中国人に対する侮蔑的なツイートが発生しているというニュースを見ました。

また、時同じくして4月1日のエイプリルフールには混乱を招くような情報を発信・拡散しないような呼びかけがなされるなど、私の離れていた1ヶ月半の間も、似たような様相を呈していたのではないか(もしくは悪化していた?)という思いでそれらのニュースを見ていました。

増幅しやすい「負の感情」と距離を置けたのは不幸中の幸いだった

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このように、非常事態時には政治的な左右関係なく様々な「思惑」を持った人が、普段はうまく隠してきていた爪をむき出しにして、怒りや不安などと言った負の感情を顕にする傾向が見て取れます。

また、こうした負の感情は大変増幅しやすく、私なんかも少なからず影響を受けてしまうタイプです。

もちろん、Twitterを通して知り合った友人と連絡を取れなくなったこと、普段から仲が良い人たちの近況を見られなくなったこと、ファンの作家さんやライターさんの発信する情報を見られなくなったことにはとても不便をしています。

ただ、凍結~離脱をした「時期」に関してだけ言えば、これもまた絶妙なタイミングだったのではないか、とも思いました。

Twitterはどうしても、負の情報も見えてはしまいますが、うまく使えば専門家の方の助言をリアルタイムで見られるツールでもあります。そろそろ再開を考えてはいますが、今後もこうしたツールとの付き合い方はよく考えていきたいものです。

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