「日本オワコン論」からの卒業!2024年の抱負と、これからこの国に待っていること

社会
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あけましておめでとうございます。
久々に更新になってしまいましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか。

私はと言うと、実は昨年2023年の秋頃から久々に小説を書いており、なかなかこちらの更新ができず仕舞いでした。

今回は2024年最初にエントリということで、今年の抱負というか、大事にしていきたい視点についてと、今年はどんな世の中になると思うかについて書いていきたいと思います。

少し強めな表現ですが、私は今後、悲観論者や冷笑的な人はかなり生きづらい世の中になると踏んでいて、2024年はその分水嶺のような年になるのではないかと考えています。
そのあたりについて詳しく解説していきたいと思います。

1990年代後半から続いた「平等に貧しくなる時代」

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ここのところずっと叫ばれてきた「日本は貧しくなった」論は事実でしょう。様々な経済指標を引き合いに出すと必ずしもそうとは言い切れない面もありますが、この30年で税金と社会保障費が増えて手取りの収入が減った人が多いわけですから、体感的に「貧しくなった」と感じる人が多数を占めるのは正しい感覚だと思います。

加えて、政府も企業も20年以上に渡り緊縮とリストラ一辺倒で施策を行ってきたわけですから、1980年代生まれで2000年代に社会に出た私の世代なんかは、経済が成長するイメージを持たないまま社会人歴を重ねてきました。

中学から高校にかけての2000年前後の時代は就職氷河期の真っ只中で、なんとなく「日本はもう終わりだ」とか「少子高齢化の日本にもう未来はない」みたいなムードがこの国を覆っていて、テレビや新聞、雑誌でも評論家がしたり顔でそういった言説を述べていたのをよく覚えています。

1990年代の後半から長期の不況に見舞われて行き、日本は「平等に貧しくなる時代」を迎えました。1997年の平均賃金を頂点に、2022年までそれを超えることができていないのもこの長期停滞をよく表している現象だと思います。

アベノミクスの金融緩和は「底上げ」の政策だった

2013年から始まった安倍政権下での異次元の金融緩和は当初「禁じ手」などと言われていましたが、高失業率かつデフレ下で金融政策を推進するのは禁じ手でもなんでもなく経済学の教科書の1ページ目に出てくるような基礎的な話なので、方向性としては正しかったと思います。

実際に株価は急速に回復しましたし、何よりも多くの人に恩恵を与えたのは有効求人倍率と失業率の劇的な改善でしょう。
本来であれば金融緩和は財政出動とセットで行わなければ健全なペースのインフレ基調に乗せることはできないと言われていましたが、残念ながら安倍政権では財政政策が不十分だった故に、景気回復の最後のピースとも言える「賃金の上昇」までたどり着くことがないまま新型コロナウイルスのパンデミックに見舞われ、日本もそれどころではなくなってしまいました。

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ただ、それでも異次元の金融緩和がもたらした功績は大きく、特にこれからの人生がまだ長い若い世代にしっかり仕事を充てがうことができたという点は、日本の大きな転換点だったと思います。

失業者や学卒無業者、つまり収入ゼロの人を減らしたという点で、アベノミクスの成果は経済成長と言うよりも「経済の底上げをした」という色が強いものだったのではないでしょうか。

つまり、それまでは平等に貧しくなる時代で、2013年頃から新型コロナウイルスのパンデミックまでは最底辺でもがき苦しむ人を減らした時代だった、と言えるのではないでしょうか。ただ、残念ながら「経済成長の実感を多くの人が感じられる」という粋にまでは達していなかったというのが私の考えです。

「日本はもう終わり論」からは卒業するときが来た

私は今後の日本に関しては割と楽観的に考えています。
2022年頃から始まった賃金上昇と景気拡大の局面は私の世代にとってはかつてない水準のものです。岸田政権に関しては折に触れて増税に言及するなど、いつ景気に冷水を浴びせるかわからず危なっかしい政権ではありますが、2021年に政権発足当時はもっと財政再建や緊縮的な政策を打ち出すと内閣だと思われていたため、予想されていたよりはかなり持ちこたえているな、という印象を個人的には持っています。

更に、幸か不幸か自民党に裏金問題のスキャンダルが多発しており、それも長期化しそうな様相を呈しているため世論の反発も考えると国民に負担を強いる税制に手を入れるのは当面かなり困難になるでしょう。

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なので、今後も急速な金融引き締めや大幅な緊縮策が施行される可能性は低く、あるとしても限定的な規模のものだと思われ、向こうしばらくはこのインフレ&賃金上昇の基調は続くでしょう。

円安、企業の高収益、インフレ基調という条件が揃って迎える3回目の春が来ます。恐らく今年も多くの企業で賃上げが実施されるでしょう。今年は昨年以上に中小企業にまでこの賃上げの波が届いているという調査結果も出てきています。

残念ながら私は昭和や平成初期の時代の社会人の生活を知らないので、データなどでしかその実態を推し量るしか方法がありませんが、平成後半以降であれば肌感覚でもその時代の空気を味わっています。つまり「平等に貧しくなる社会」の空気の真っ只中で社会人となった者としての感覚であれば、語ることができます。

ここからはあくまで私の感覚ではありますが、「平等に貧しくなる社会」においては、二度と経済成長が起きない、つまり、市場のパイが拡大することなどもう二度と起きず、いかに縮小幅を食い止めるか、という世界観が前提になっています。

こうした時代の空気の中では、「もう日本は終わりだ」とか「こんな国に未来はない」とか、そういった悲観論やニヒルな態度というのが理性的、知的であるかのように持て囃されて来たきらいがあると思います。

しかし、日本はもうその「平等に貧しくなる社会」のフェーズから脱しつつあります。社会の状況が変われば、当然自分自身の価値観も変化させて行かなければならない、という考えに至りました。

平等に貧しくなる時代は終わったが、平等に豊かになる社会ももう来ない

冒頭にも述べましたが、今後の日本においては前述のような悲観論者やニヒリストにとっては結構苦しい社会になっていくのではないかという予感がしています。

今よりも遥かに横並び意識や和を重んじられてきた昭和の時代であれば、そうした悲観論者に対してもお節介な人が「もっとやる気を出せよ!」「お前もっと頑張れよ!」と尻を叩いていたことでしょう。

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私が知っている平成中期以降の社会は「頑張っても頑張らなくても貧しくなる社会」でした。なので、そういった社会であれば「頑張らないこと」「贅沢しないこと」「野心も希望も持たないこと」が合理的な選択になり、悲観論や社会に対して斜に構えた厭世的な態度が持て囃され、同時に野心を燃やしている人や希望を持ってひたむきに頑張る人を冷笑するような風潮がかなり蔓延していたと思います。

令和に入り、パンデミック直後のコストプッシュ型のインフレから徐々に純粋な需要に支えられる健全なインフレに移行し始めそれが賃金にも反映されつつある今「平等に貧しくなる時代」は確実に終わりを迎えていると思います。

ただ、昭和や平成初期にこの国が経験した「平等に豊かになる時代」も、もう二度と訪れないとも思っています。

令和の上司世代(主に現在の30代後半~40代くらいの私と同年代から、私より少し上の世代)はほとんどがプレイングマネージャーで日々多数の部門にまたがる仕事を抱え、昭和や平成初期の頃の上司ように部下や後輩を頻繁に飲みに連れて行ってお節介を焼く暇も余力もなく、一見昭和や平成時代の管理職よりもドライで付き合いやすいタイプの上司が多いとされていますが、一方で悲観主義的な人、皮肉めいたことばかり言うやる気のない人に「お前そんなんじゃダメになるぞ!」なんていう、敢えてウザがられるようなことをハッキリ言うタイプの人もかなり少ないとも感じます。

つまり、いつまでも「どうせこんな国にいたって…」「こんな泥舟に乗ってる俺ってかわいそう」的なことを言っている人にツッコミを入れる人はもういません。
頑張っても頑張らなくても貧しくなる時代は既に終わり、年功序列賃金と終身雇用が崩壊した後に訪れた現在の景気拡大局面は、まさに「ある程度は頑張らないと貧しくなる時代」にこの国が移行したことを意味していると思います。

ほぼ自動的に年次で給料が上がる会社も減った今、その時代の流れの変化に気付けないまま前時代的な悲観主義や厭世的な言動に固執していると、取得できたはずのスキルや経験を得る機会も逃し、それがそのまま自分の所得に跳ね返ってくる世の中になりつつあると思います。

それでもご周知の通りモノの値段はどんどん上がっていますし、今後軽い調整局面はあるにせよ、平成時代後半に経験したような20年にも渡るデフレの時代も、二度と来ないと思います。つまり「頑張っても頑張らなくてもどうせ同じ」という長期不況に最適化された価値観を捨てられずにいると、所得は上がらないのに物価が上がり、生活がどんどん苦しくなっていくのではないかと思っています。

社会なんて「目のつけどころ」でいくらでも変わる

各種SNSなんかを見ていると、この手の悲観論をもう10年くらい言っているアカウントもチラホラ見かけます。
かつての知人でも、「自分はもうこの国に絶望している。だからこんな国を捨てて海外で働いて海外に永住する」的なことをもう10年も15年も言い続けていて、でも実際は英語の勉強なんてしていないし、今より成長力のある業界に転職すらしようとしていない(下手をするとまともに働いてすらいない)人もいたりします。

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私たちが社会人になった当時は確かにそういった言説が持て囃されていたのは事実ですが、恐らく海外に行って稼げるほどのバイタリティがある人は、すでに国内で自分の暮らしがより良くなるにはどうすれば良いかの策を尽くし、それでも物足りずに出ていくタイプがほとんどでしょう。旧知の友人でそちらのタイプの人もおりますが、彼らはどちらかと言えば悲観論者やニヒリスト的なタイプではなく、むしろ彼らが小馬鹿にしていた野心や希望を常に忘れていないタイプの人たちでした。

前言を覆すようで申し訳ありませんが、そもそも「この20年間、本当にすべての分野で日本は貧しくなっていたか?」という点も、もう少し冷静に論じる必要があるとも思います。

前述のように増税で可処分所得が減っているのに住宅や車などの価格が上がっているという点で「貧しさ」を実感しやすいという点は確かにあると思います。ただ、では日本の全ての産業のすべての分野が衰退したかと言われればまったくそうではありません。

2000年前後の就職氷河期が叫ばれる裏ではIT業界というこれまでにほとんど存在しなかった業界が台頭しました。PC一台を用意してマンションオフィスで起業する若者が次々と登場し、その後数年で渋谷や六本木近辺の高額なオフィスに入居し、古くからある日本の大企業並みの発言力を持つ成功企業が多数現れました。

ゲーム、アニメ、マンガなどのコンテンツ産業の輸出が一気に進んだのも不況下とされる20年間で、丁寧に考え抜かれたシナリオや職人技とも言えるイラストを特徴とした日本のゲームやアニメは、「ゲームやアニメは子供が楽しむもの」という欧米人が持っていた概念を覆し、海外で大人を含めた多くのファンを獲得しました。

海に囲まれていて周辺国から決してアクセスが良いとは言い難いこの国の観光地に、これだけの外国人観光客が訪れている昨今の光景を20年前に誰が予想したでしょうか。

新たな成長産業が登場しただけではありません。
ラクスルという企業を聞いたことがある方も多いと思います。
この会社はいわゆる「印刷屋さん」で、本来であれば斜陽産業であるにもかかわらず急成長を遂げて2018年には東証プライム市場にも上場を果たしています。

ラクスルはIT技術を使った徹底的な自動化と省力化に加えて、日本全国にある印刷工場の稼働率が4割程度であることに目をつけ、その印刷機の非稼働時間を活用するというシェアリングエコノミーのスキームを印刷業界にいち早く取り入れ、これまででは考えられないくらいの低価格で印刷を可能にしました。このスキームは米国の経済誌からもアワードを受賞するほどです。

つまり、日本という衰退しているとされる国の中にある、更に衰退している印刷業界で大成功をおさめている企業が存在しているのです。

悲観論者やニヒリストが好きな「日本はダメになった論」も、それは「あるひとつの側面」という前提である点には注意が必要です。

野心や希望に素直に向き合うひたむきさが求められる時代が来る

私は今後、自分の抱く野心や希望に素直に向き合うひたむきさが求められる時代が来るのではないかと思っています。ある意味、一部で昭和的な価値観に回帰するという見方もできるかもしれません(昨今若い人たちにブームの「ネオ昭和」も、こうした流れの一環と見ることもできるのではと思っています)。

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ただ、昭和時代であれば悲観的なことを言っている人や厭世的な人であっても、それを打ち消して余りあるほどの勢いで経済が成長していたので、あまり前向きではない人まで平等に経済成長の果実が行き渡っていたことでしょう。
実際、社会主義を礼賛し経済成長を否定していた当時の左派の大学生たちが、実際には経済成長によって生活が豊かになり続ける日本で楽しい青春時代を過ごすことができ、世界的に見ても稀に見るほどに資本主義の恩恵を受けていた世代であったという皮肉めいた話もあるほどです。

しかし、今後訪れるであろう時代の経済成長は、前述の通り平等にその恩恵が行き渡るようなものにはならない可能性が非常に高いと考えています。

「野心」なんて言うとすごくキツイ言葉に聞こえるし、青春時代から社会人人生のほとんどを長い不況と停滞期で過ごした私の世代としては、小っ恥ずかしくさえ思ってしまうような言葉です。

ただ、何も「たくさんカネを稼ぎたい!」とか「他人を蹴落としてでものし上がりたい!」という昭和的な尖ったモノだけが野心ではないと思います。すごく平たく言うと、「来年の今頃は、今日よりも良い暮らしをしていたい」という気持ちが非常に現実的な「野心」ではないかと思っています。

最近はマクドナルドが値上がりしたことを受けて、数多のYoutuberなどが「悲報!マックが値上げで客がガラガラ!ザマァ!!」みたいなコンテンツをUPし、一部でそういったコンテンツが礼賛されているようですが「ザマァ!!」ではなくて「また前みたいに気軽にマックに行けるよう、自分は明日から頑張って稼がないと!」という考えに転換すること、これも「野心」だと思います。

私は今年、こうした日常生活における小さな「野心」を大事にする年にしていこうと思っていて、更にこれは今年2024年に留まらず向こう数年~10年くらいは重要な視点になるのではと考えています。

日本の労働生産性の低さはむしろフロンティアでありチャンス

悲観論者やニヒリストは「日本の労働生産性は主要国の中で最下位。だからもうこの国は終わりだ」という話も好きですが、これも突き詰めればITを駆使した自動化の遅れにより、利益とは無関係なノンコア業務に忙殺されるサラリーマンが多いということに起因しているのだと思います。

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この話もここ20年以上に渡り日本が歩んで来た「みんなが平等に貧しくなる社会」とは無関係ではありません。
今でこそ日本において経営者に求められる素養は「会社の生産性を上げること」ですが、長期不況下の就職氷河期においては「雇用を創出すること」が当時の経営者に求められていました。

平成中期、2000年頃と言えば有効求人倍率は0.6倍を切り、求職者5人のうち2人以上は仕事にありつけなかった時代です(2023年は11月現在で1.28倍)。つまり今とは発想がまったく逆で、たとえ1人あたりの給与を据え置いたとしても、2人でできる仕事を3人で、3人でできる仕事を4人でやるようにし、なんとか雇用を創出することが企業の社会的責任であるかのような主張が平気で叫ばれていた時代でした。これは言い換えれば、わざと効率の悪い方法を取ることで失業者を減らすということです(失業者を減らすために求人数を増やすのは企業の仕事ではなく、本来であれば国の仕事なんですがね…)。

平成中期頃と言えば、日本以外の先進国ではIT分野に大規模な投資を行い、来るべき人口減社会を見越して業務の自動化・省力化に注力していた時代です。しかし当時の日本には労働力が余っていました。だから本来であればその時にITへの投資によって解決しなければならなかった問題を、当時「人力」ですべて解決できてしまった。それが尾を引いてこんにちのIT化の遅れと労働生産性の低さにまで影響を及ぼしていると私は見ています。

人口減や少子高齢化など暗い話題が多い中ですが、一方で労働力人口における20代、30代が占める割合は、2027年に底を打ってその後は年配者の退職に伴い職場に20代、30代が占める割合が増加し始めるそう。つまり、働く人の目線になると「人は減るけど会社は若返る」というフェーズに2028年から入っていくのです。つまり、現役世代に限って言えばデジタルネイティブ世代がマジョリティを占める日がもうすぐそこまで来ているということです。

私はこのあたりの時代から一気に業務のオートメーション化が進んで行くと踏んでいます。昨今話題の生成aiに関しても、アメリカや欧州はディープフェイクなどの危機感から厳しい規制の方向に動いていますが、意外にも日本人や日本政府の生成aiに対する態度は寛容で、開発拠点を東京に移す流れも出来てきています。
こうした背景も追い風となり、ITを駆使することによる省力化を一気に推し進めることで、既にそれを達成している他国に一気に近づく(あわよくば追い越す)ことも十分に可能な潜在力があると考えています。

楽観論が馬鹿っぽくても気にしない!

ここまで書いてきて、我ながらやや楽観論が過ぎるとも思いますし、悲観論者やニヒリストからは「馬鹿っぽい」と冷笑されるのが目に浮かびます。しかし、私からするとそちらの方がもう「時代遅れ」な気がしています。

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有名な言葉に「悲観は“気分”だが、楽観は“意志”である」という名言があります。私はこれ、けっこう好きな言葉です。何をやるにしても自分1人でやれる仕事は限られており、多くの人を巻き込んで、手伝ってもらわなければインパクトのあることは成し遂げられません。

当然、「危機感」を持つのは大事なことですが、危機感と悲観論は似て非なるものです。
明るい展望も示せないような悲観論者やニヒリストと力を合わせて何か大きなことを成し遂げたいと思う人間がどれだけいるでしょうか。

どう足掻いても「明るい展望」など開ける状況になく、「縮小幅を最小限にする」ような仕事ばかりが求められるような時代であればそういった熱量のないリーダーの方が周囲に変な希望や期待を持たせないので合っていたかもしれません。しかし、繰り返しになりますがもうそういった「みんなで貧しくなる時代」は終わろうとしています。

「野心」という言葉がこれからのキーワードになる、と言いましたが、その中身は必ずしもカッコいいものでなくても良いと思います。というか、むしろ野心なんて人間臭いくらいの方がちょうど良い(笑)
「今より良い暮らしがしたい」でも良いし、「みんなから礼賛されたい」でも「有名になりたい」でも、「異性(同性)からカッコイイと思われたい」でも、なんでも良い。「野心」は本当に人の数だけあって良いものだと思いますし、その中身に貴賎はないと思います。

だからこそ、これからの時代は「野心」を持っていたいし、そのような野心を持った人、良い意味で楽観的に物事を考えられる人との関係を大事にしていきたいという思いを、この年末年始で強くしました。

皆さんは2024年はどんなことを抱負にしましたか?
この2024年という年が、1人でも多くの人にとって幸福な日々であるよう、私も願っています。

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