どうも、英司です。今回は少し、論争を巻き起こした記事を見つけたのでそちらについて書きたいと思います。
ゲイ業界には確かにルッキズムによるヒエラルキーは存在する
当該の記事は、昔からよく言われているゲイ業界の熾烈なルッキズム社会を真正面から批判している内容ですね。
マイノリティ同士で差別してない? ヒエラルキーに支配されて。もはや多様性ってなに…
私もゲイとして二丁目界隈に出始めて約14年、確かにルッキズムによるヒエラルキーが存在しているのは確かでしょう。時々SNSなどでこうした風潮を面白がって皮肉ったり茶化したりするゲイはいますが、ここまで真正面から批判した記事というのも少し珍しいと思いました。
それらの発言はさして大きな話題にはならないのに、当該の記事に対してはやや批判的なコメントがSNSを中心に飛び交った最大の理由は、タイトルと文中で一貫して「差別」という言葉が使用されているからなのではないか、と、私は考えました。
「差別」という言葉の持つ強烈さ
私はこちらのブログでも外部の記事等でも、「定義がよく考慮されていない状況で『差別』という言葉を使うのは好ましくない」と再三に渡って述べています。
繰り返しにはなりますが、その理由は「それは差別だ」と言われたら、だいたいの人は黙り謝罪します。腹の底ではどう思っているかわかりませんが、多くの人は最低限の振る舞いとして一応は反省したポーズは見せます。
ですので、「差別」という言葉を使うと、即座に相手から反論の余地を奪い、自分が主張する「正しさ」に屈服させることができてしまうのです。だからこそ、社会的少数者とされる私たちLGBT(という言い方もできればあまりしたくありませんが)は、この言葉を使うときは本当に熟慮しなければならない、というのが、私が一貫して主張してきたことであり、私のすべての主張に通底している思想です。
「差別はいけない」という主張に反論する人はいないと思います。ただ、こうした「正しさ」を、情動うごめく本能的な世界である「モテ市場」に持ち込むかのような論調に不快感を抱いた当事者も多かったのではないでしょうか。
実際、私だって自分が心惹かれた相手の外見を「正しい」とか「正しくない」とか評価され、ある特定の系統の人を好きになったり付き合ったりした途端に「それは差別だ」「もっと少数者に配慮しろ」なんて言われたら、大変不愉快になると思います。
「差別はいけない」は100%正しいです。だけど、その言葉を振りかざせば、他人がどんな人を好きになって良いか/悪いかまでコントロールできるという考えは、さすがに行き過ぎだと思います。
実際のところ「差別」は横行している?
「差別」という言葉の重さをそう解釈したとき、ゲイ業界で「差別」は本当に横行しているか?と言われればYesと即答できるレベルではないかな、と思います。
確かに、恐らく自分らしさを押し殺してきたのか、苦労してナイスバディを手に入れたらしいオッサンの中に、自分と同じようにできない人を罵倒する人も見かけたこともありますので、こうした人がいないことはないとは思います。
ただ、この手の人は例えば自身が前髪系だったとしたら「マッチョなゲイは流行しか考えてないバカ」とか言っていただろうし、自身がデブ系だとしたら「デブ以外人間として認めない」とか言っていただろうし、早い話がこれはその人個人の過剰な自意識と性格の問題であって、もう「そういう人」と解釈すべき話なんですよ。その人の属性にまで広げるような話ではないんですね。実際、マッチョ系量産型の人に限らず、こういう偏狭で視野の狭い人間はどの系統にも一定数いますから。
その人の属性を指して「こういう属性の人はこういう系の人に攻撃的」とか、きちんとした根拠もないままに決めつけるのは、私個人的にはそれこそ差別的な見方だと感じました。
実際のところゲイ業界の中である系統の人がある系統の人を罵倒するような例はたくさんあるかと言われればそうでもなく、ぶっちゃけ言うと「他の系統の人には興味がない」というのが一般的な感覚なのではないでしょうか。
実はこの「興味がない」という態度こそ多様な人が共存する鍵であると私は考えているし、「他系統(モテ筋)の人が自分に興味を示さないことも差別」などと言い出したらキリがありません。
他を罵倒することよりも自分のなりたい自分になることや、タイプの人を振り向かせることに忙しく、これはダイエットやファッションセンス磨きに勤しむノンケたちとまったく一緒なのではないかなと思います。
本当に多くのゲイは自分らしさを押し殺している?
「若い人の価値観は細分化した」と頻繁に言われる昨今ですが、これはゲイ業界も例外ではないと思います。
私がこの業界に足を踏み入れた約14年前はガチムチ全盛期で、当時年上の二丁目に出てきているゲイはかなりの確率でガチムチなボディにラガーシャツや派手な原色系のポロシャツ、ボウズや角刈りに近い短髪というスタイルがひとつの「モテテンプレート」でした。実際当該の記事にあるように「断髪式」なんていうのも二丁目に出たての若い子たちでやっていたものです。
しかし、最近の二丁目にはその頃に比べて本当に様々な系統の子がいるなと感じます。以前の通りガチムチ短髪スタイルも健在ですが、今は「数あるジャンルのひとつ」くらいの感覚になっていると思います。
髪型ひとつ取っても、ボウズや角刈りの比率は減り、ツーブロックヘアでウェッティな整髪料で仕上げている人や、流れを表現できるほどの長さでなおかつモテ筋、という人も随分増えています。
服装も「迷彩柄のパンツやスウェットに原色系のシャツ」なんていうのがかつてのモテテンプレートでしたが、今はモノトーンで決めて年齢の割に随分大人っぽく色気のある若い子も増えたし、モード系の個性的なファッションの子もかなり見かけるようになりましたね。
「みんな自分を押し殺さずに自分らしく!」ということらしいのですが、既に割と個性や自分らしさを楽しんでいるゲイはけっこう多いと感じます。
ただし、ルッキズムには罪もある…
ここまで、ゲイ業界のルッキズムに関してあまり否定的なことは言いませんでしたが、一方でやや深刻な問題も生んでいるのでは?と感じる場面は確かにあります。
それは「差別」とかではなく、完璧なルックスを目指すあまり行き過ぎた強迫観念に駆られてしまっている人を時々見かけることです。
真偽が不明な情報を信じて明らかに体調を崩すようなダイエットに身を削ってしまったり、副作用が強く安全性が確認されていない筋力増強剤を頻繁に使用してしまったり、身体を壊すまで筋トレをしたり…。
実際のところ、プロモーションの仕事をしているとダイエットや薄毛治療と言った「コンプレックス市場」のとてつもない規模には驚かされます。その分真偽が不明の情報も溢れかえり、それらしいWEBサイトの記事も実は怪しげなサプリメントや健康器具のアフィリエイトによる提灯記事というケースがとても多いです。
自分磨き自体は素晴らしいことですが、心身ともに健康な日常生活を脅かすまでに打ち込んでしまうことにはやはり懸念が残ります。また、こうした人を一定数生んでしまうほどの熾烈なルッキズムによるヒエラルキーがあるのも、やはり褒められたものではないかもしれません。
いっそのこと、「褒めブーム」に便乗しませんか(笑)?
最近は「褒める自動車教習所」「(ウッチャンに代表される)褒める司会者」「褒めてくれるアプリ」等が支持され、一部で「褒めブーム」が起きています。
「差別やめよう!」というより、そろそろゲイ業界もこの「褒めブーム」に便乗しちゃいませんか(笑)?
そうすれば、少しはこうした風潮の「行き過ぎ」にはブレーキがかかるのかな、と思います。
ってなわけで、皆さんもう少し褒め合ってみませんか?(笑)
この業界はどうしても、酔っ払うと「ブス」と叫ぶ人が多く、あとなぜか自虐ネタはウケが良いのですが、「今のままで十分イケてるじゃん!」を合言葉にすれば良いのではないでしょうか。
なんか締りが悪くて申し訳ありませんが、本日のエントリとしたいと思います。最後までお付き合いいただきありがとうございました!