木島英登氏vsバニラエア問題 なぜ炎上したのか?ーメディアと消費者意識から考えるー

社会
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どうも、英司です。梅雨らしい天気が続いておりますが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。
今回は、少しタイムリーなネタでも。

バニラエアでの階段タラップ這い上がり問題

ここ数日かなり大きなニュースになっていますので、ここではニュースの詳細は割愛します。こちらなどをご確認ください。

日本の航空会社、車いすの男性を自力で搭乗させる - BBCニュース
鹿児島県奄美大島の奄美空港で今月、格安航空会社(LCC)バニラ・エアの飛行機に搭乗しようとした車いすの男性が、階段式のタラップを腕を使ってはって上る事態になっていたことが明らかになった。

本件、私もニュースを最初に読んだ際に違和感を覚えた一人です。
インターネット上でも木島さんの擁護論者と批判論者が次第にヒートアップしていき、感情論が目立つようになってきましたが、こういう問題こそ冷静に考える必要があります。

今回は、最近の消費社会の価値観の変化等と言った、より社会一般の背景も含めて、私なりにこの問題を考えて行きたいと思います。

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木島さんが確信犯だという説について

主にインターネット上でよく見かけた論調です。
しかし、私もこのニュースを最初に見た際、すぐさまこの説が頭を過りました。

まず1点目。

木島さんはご自身のブログや著書でも書かれている通り、世界中あちこち訪れている方のようです。非常に旅慣れた方であることが伺えるのですが、そういった方が、バニラエアのようなLCCは経費削減のためにボーディングブリッジを使用せず、使用料の安いタラップを使用しているのは知っていたはず。

また、予約時に身体の不自由な方は奄美空港を利用の際は一報を入れるようにと通知があったにも関わらず、それを怠ったということ。

車椅子で世界中を旅し、日本中、世界中の航空会社を何百回と利用しているのに、こうした通知を見落とした、失念した、というのは少し不自然に思えます。

また、航空業界にも非常に詳しい方のようですので、奄美空港は大都市の国際空港とは違い、満足にバリアフリー化が進んでいない空港であり、そういったところに事前通告ナシで訪れればどんなことが起きるか、充分に予測ができたのに敢えて今回のような行為に及んだのではないか、ということが疑われました。

2点目。

過去にも同様のトラブルを起こしていた点。木島さんご自身のブログによれば、過去に全日空機を利用した際にも、同じようなトラブルがあったそう。

こうしたトラブルを一度経験したのであれば、事前に車椅子である旨を伝えていないと現場ではどのようなことが起こるか予測できたはずで、なぜ過去に同様のトラブルを経験したのに、同じようなことをしてしまったのかに疑問が残ります。

3点目。

バリアフリー研究所という団体を主宰しており、主な収入源が講演料や著書の執筆料や印税という木島さんの生業が、この憶測を更に加速させた要因の一つと考えられます。

これが別の職業の方であればここまで疑いの目が向けられることはなかったと思うのですが、実名が報道されればされるほどご自身のビジネスに繋がるという仕組みが成立してしまっていたため、より強い疑いの目が向けられた、という背景も考えられます。

結局悪いのはどちら?

それは一概に言えないと思います。
実際のところバニラエア側も、奄美空港はバリアフリー化の整備が行われていないため、もし事前連絡があった場合、車椅子のお客さんに関しては搭乗を断っていたといいます。

(この事件を受け速やかに車椅子のお客さん用のストレッチャーを用意し、2017年6月中旬より利用可能になったとのこと)

ネット上でもバリアフリー新法や障害者差別解消法を根拠にバニラエアを批判する声が多く聞かれましたが、奄美空港はこれらの法律に義務付けられた施設に該当しないため、法令を根拠に批判するのは的外れな議論でしょう。

ただ、法令とは別次元の話として、道義的・企業の社会的責任という文脈の議論であれば、バニラエアとしては奄美空港への乗り入れを決定した時点でストレッチャーを導入するべきでしたし、その点に関して落ち度があったのは事実でしょう。

しかし、木島さん側の主張にも多くの疑問があります。
航空会社側は事前連絡をお願いしているにも関わらずそれを怠った挙句、航空会社側の「速やかに乗客を案内する」という業務を妨害したわけですから、一方的にこの問題を「傲慢な航空会社vs可哀想な障害者」というありきたりな構造で見てしまうと、真実が見えて来ないでしょう。

木島さん側はブログ内で「海外ではありえない」と書いていますが、それは誤りです。非常に合理主義的な契約社会であり、訴訟大国であるアメリカ合衆国なんかでは、約束を破り業務を妨害したとして、航空会社側が木島さんを訴えることも充分にありえる事案とも考えられます。

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大手メディアが発表する情報への不信感が露呈

この事件に賛否がわかれた原因の一つに、大手メディアへの不信感、ウンザリ感を覚えている人が少なからずいることが関係していると考えられます。

この事件が明るみに出た際、大手メディアは一斉に本件を取り上げました。どの新聞社も「傲慢な航空会社vs可哀想な障害者」という構図ありきの記事ばかりでした。

10年前であれば、一部のコアなブロガーを除いては、広く自分の意見を表明する場がありませんでしたので、本件は大手メディアが報道した通り「傲慢な航空会社vs可哀想な障害者」という物語として終決していたことと思われます。

しかし今は多くの人がSNSのアカウントを持ち、疑問に感じたことや違和感を覚えたことをすぐに発信でき、そうした意見が議論に一石を投じることが可能な時代になりました。

もちろんSNSが普及して以降、行き過ぎた暴言が散見されることも事実ですが、一方で大手の既存メディアの紋切り型の「大本営発表」に飽き飽きしていた層の人たちの受け皿にもなっていることに留意する必要があります。

新興の独立系ミドルメディア、WEBマガジン等などは従来の大手メディアとの差別化を図るため、積極的にSNSで発信された「フツーの人発信の情報」を元に取材を行うなどし、大手メディアが作った物語とは別の視点で語られる物語の存在を世に知らしめる機能が、時代とともに非常に強くなってきています。

このような、既存メディアへの不信感も、今回の事件に賛否を巻き起こした原因の一つではないかと思いました。

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「お客様は神様ではない」という価値観の浸透

本件には、かつての日本社会で広く共有されていた「お客様は神様」という価値観が徐々に変化して来ていることも関係していそうです。

数年前からブラック企業という言葉が使われるようになり、劣悪な労働環境の企業が批判の的になり始めました。

しかしこうしたブラック企業批判が進むとともに、「実はブラック企業を作っているのは、対価に見合わない過剰なサービスを要求するお客なのではないか」という論調も多くなり始めました。

結果として最近では、ブラック企業とともに対価以上のサービスを要求するお客(主に中年以上の男性が想定される場合が多い)も批判の対象となり始めています。

実際、必要最低限のサービスで十分と感じていた若年層を中心とした人々のライフスタイルはここ数年で劇的に変化しました。

移動にはLCCを積極的に利用し、必要のないアイスクリームや牛丼をタダで押し付けてくる代わりに高額な使用料を要求してくる大手携帯キャリアを見限って格安SIMに乗り換え、使いもしていないスタジオやプールの料金も含めた金額を支払わなければならない大手のジムを退会して、ウェイトとマシンに特化した都市型の廉価なジムに乗り換えるような例が増えてきています。

(ちなみに私はもう若者と呼べる歳の人間ではないですが、上記3点すべてを実践済です・笑)

このように、過去の日本においては高価格/高サービスしか選択肢がなかったものが、中価格/中サービス、低価格/低サービスとその選択肢が増え、「お客様は神様。事業者はできる限りのサービスをするのが当然」という商流が、若い世代を中心に「サービスとは自分に必要なものを選んでお金を払って買うものであり、基本的には有料のものである」という価値観が広まりつつあるように感じます。

このような価値観のシフトが起きている過渡期の現在であるからこそ、サービスの簡素化で格安での移動を実現したバニラエア側に同情の声が聞かれたのかもしれません。

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感情論は何も生まない

本件、足の不自由な方がタラップを這い上がるという絵面の強烈さから、感情的な批判が多く見られます。

現場のスタッフは鬼畜だと言い放つ人もたくさん見かけましたが、空港の現場というのは航空法で厳格にルール決めがしてあり、して良いこととしてはいけないことが明確に決められています。

何か起きる度に臨機応変に融通を利かせていたら、法令遵守の観点からすると多くの命を預かる航空会社や空港がそんなに緩い法令の運用で良いのか、という問題が起きます。(だから身体の不自由な人には事前の申告を通知していたのです)

本件に関して木島さん側に批判的なことを言うとすぐに障害者差別だという批判や、ひどい暴言も散見されましたが、批判の対象はあくまで事前申告という約束を守らなかった木島さんに対するものであり、木島さんの障害に対するものではないという点はしっかり区別して議論がなされるべきでしょう。

行為そのものが批判されることと、その行為者の属性を批判するのとでは天と地の差があります。

また、法令違反の有無と道義的責任の議論とを混同した主張も多く見られますが、これもかなりナンセンスです。

企業が平等なサービスを一定水準で提供し続けるためには、「原則」を必ず作らなくてはならず、それを守るためのルールも策定しなければなりません。

これは差別でもなんでもなく、標準的なサービスを提供するために企業側に課せられた義務のひとつです。ちなみに、私も本業で「サービススタンダード(サービスの標準化)」に深く携わっています。

各支店や各営業担当者の特色や個性は残しつつも、安定した「質」のサービスを継続的に提供し続けなければならないというのは当たり前のことのようで大変難しいことです。例えば、同じ価格でサービスを提供されたAさんとBさんがいて、それを対応したスタッフが違う人物だったとしても、同じ会社が供給者である以上サービスの質は同一でならなければならないという概念を企業は大事にしなければなりません。

「マニュアル化」と言うと非常に聞こえが悪いのですが、ある一定水準のサービスをムラなく提供するためには、属人的な能力に依存した運用では成立せず、ルールに基づいた行動や判断をせざるを得ません。個人経営の事業者ならともかく、企業人である上に法令順守を厳しく求められる空港の現場スタッフに対して暴言を吐く意見は、あまりにお角違いな印象を受けました。

ただ、実際問題として一部には今回の木島さんの行為を受けて障害者一般への差別を正当化する思考回路の持ち主もいないわけではないですし、木島さんもお立場上、本人にそのつもりはなくともある程度の「代表者性」がついてまわってしまうことに、もう少し自覚的であるべきだったかもしれません。

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