どうも、英司です。
更新が随分滞っており申し訳ありませんでした(毎回言ってますね)。 今年は記録的な猛暑の夏で、10月に入ってようやく過ごしやすくなりましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
今から3年前となる2020年4月に最初の緊急事態宣言が発令されてから、コロナ禍によって私達はかなりの不便を強いられて来ました。 途中、いろいろ思うこともありこちらのブログで発信したこともありました。
今年2023年5月に5類感染症に移行し、マスクを外す人も増え、約3年にも及んだコロナ禍は一応の収束を迎えました。 コロナ禍によって業種・職種によっては職を失うなど大変な思いをした方もいらっしゃったと思います。 そういった人もいる中であまり軽々しいことも言うべきではありませんが、今回はコロナ収束から約半年が経過し、私なりに敢えてこの3年間の社会の良い方向への変化や所感をまとめてみたいと思い、筆を取りました。よろしければお付き合いください。
正直、生きてきた中で一番日本がダイナミックに変わった3年間だった
これが私のすごく率直な感想です。具体的にどんな点が変わったと感じたか具体的に解説していきたいと思います。
良くも悪くも政府が国民を「切り捨てる」判断をした
ちょっと過激な言い方ですが、これはすごく賛否の分かれる現象で、X(旧Twitter)でも常に論争が巻き起こっていたと思います。 私なんかは、「弱者を守ろう」とか「高齢者には優しく」と言った道徳的な言動が持て囃された時代をずっと生きてきた世代の人間です。
つまり、「誰一人として取り残さない社会」こそが理想で美しいんだと誰も信じて疑わずに生きて来ました。しかし、それはあくまで国民誰もが食うに困らず、局地的に自然災害が起きるようなことはあっても国内でなんとか助け合ったり、友好国が助けたりしてくれて、なんだかんだ言って大多数の国民は平和で豊かに暮らせていたからこそ信じられていたことなんだと改めて実感しました。
しかし今回のパンデミックは局地的な災害ではなく日本全国、それどころか全世界が同時に対応に追われる事態になってしまいました。国内で助け合って経済的な打撃の穴を埋めるのは難しいし、友好国だって自国のことで忙しくて日本なんかにかまっていられません。
そんな中で私は正直なところ、日本政府の対応にはほとんど期待はしていませんでした。批判を恐れずに言うと「どうせまた何でもかんでも高齢者が優先で、あれこれデカい声でクレームやワガママを言う人ばかりが得をして、また現役世代がそれに足を引っ張られるだけだろう」という諦めに似た気持ちがありました。 案の定、2020年の秋に始まった全国旅行支援やGOTO EATでその片鱗は早くも見え始めました。
「自分は変わる努力は絶対しない。でもお金はくれ」と主張する人たちを切り捨てた各種補助金
当時、一番打撃を受けた観光、飲食業界への支援策としてGO TOキャンペーンとして巨額の補助金が投じられましたが、その代わりに日本が遅れを取っていたキャッシュレス決済とWEBによる予約の一本化を一気に進めようとし、これらの事業は業界の支援策でありながら「サービス業界のデジタル化補助金」というカラーも強く打ち出されていました。
ところがここでやはり、高齢者を中心に「デジタルについていけない人は恩恵を受けられないじゃないか」という批判の声が巻き起こりました。これはユーザー側だけではなく事業者側も同じで「デジタルはよくわからない、勉強する気も調べる気もない、でも政府からのお金は欲しい」みたいな主張を平然とする人がたくさん現れました。 (これはマイナポイントでも見られた現象です)
これに対して、平時の日本政府であれば追加でデジタル化に抵抗感のある事業者やユーザーへの救済策なんかを打ち出して、結果的にデジタル方式とアナログ方式の両方をいつまでも温存させることになり、むしろ前よりも行政や民間の手間を増やす結果になる、みたいなことが平気で起きていたと思います。
だけど時の政府が出した答えはシンプルに「無視」でした(とは言え、スマホ料金を半ば強引にこれまでの3分の1にまで下げさせるなど、個人的には政府もかなりのお膳立てをしたと思います)。
いろいろ意見はあると思いますが、私は当時のこうした日本政府の取った「無視」という態度は正しかったと思います。「自分は何も変わる気がない。周りが自分に合わせるべきだ」という主張を大の大人が声高にするのは正直いかがなものかと思います。こうした主張は、お腹が減ったと言っている人の前に誰かが眼の前に食糧を届けてくれたのに、その善意に対して更に「スプーンで口に入れてくれないと嫌だ!」と言っているように見えました。
私はコロナ禍で失業もしませんでしたし、所詮は守られた会社員の身です。「何を偉そうに」と言われるかもしれませんが、会社員であろうと今時は時代の変化に合わせて知識やスキル、モノの考え方を身につけなければすぐに弾き出されるような時代です。
事実、事務などのオペレーション業務におけるここ10年のIT化、自動化(最近で言うところのDX化)の流れは凄まじく、間接部門の事務系の仕事は激減し、結果会社を去って行った事務職の人をこの10年で何人も見てきました。 加えて、OpenAI社によるChat GPTの登場や画像生成AIが多数開発されるなど、この分野は誰もが想定し得なかった速度で自動化が進んでいて、数年前までは未来永劫人間にしかできないと考えられていたクリエイティブ領域にまで省力化、無人化の波が押し寄せて来ています。これまで間接部門の一般事務などの仕事が消滅していくことは容易に想像が付きましたが、今後はまったく想像ができない領域にまでデジタル化の波が押し寄せて来ることでしょう。
そこで生き残る方法はただ一つで、そういったデジタルツールに仕事を奪われるより前にそのツールを使いこなす側に回ることです。 つまり時代に合わせて変わる努力をすること、とりわけデジタル化の波に付いていくことは雇われ人であろうと事業主であろうと、もはや「お金を稼ぐ上で最低限の教養」になりつつあり、こうした姿勢は当然補助を受けるための最低限の条件になってもまったく不思議ではありません。
政府の補助のあり方には私も手放しで賛成はできかねますが、「誰一人置いていかない」という態度にこだわるあまり、物事の変化のスピードを鈍化させてきたこれまでの悪癖を断ち切った点は成功だったのではないかと思います。 事実、既に都心では現金決済のみの店を探す方が難しい状況になっていて、とりわけQR決済の普及の速度は凄まじいものがありました。これをたった3年で達成したのはただただ単純にスゴイことだと思います。
「気難しい高齢者」をバッサリ切り捨てたワクチン接種
ワクチン接種に関しても、私は当初ほとんど期待はしていなかったと言うか、正しくは日本だけが先進国の中で取り残され、リーマンショックの時と同じく世界で「一人負け」の貧乏くじを自ら引きに行くだろうなとかなり冷めた目で見ていました。
2021年初頭、ワクチン接種の目処がなんとか立った当時も「まずは高齢者の接種がすべて終わらないと現役世代には接種はできない」というアナウンスがあり、我々現役世代が1回目の接種ができるのは2022年に入ってからという試算がなされていました。欧州、米国、中国、ロシアでは既に1日に数十万人がワクチンを打ち始めていたにもかかわらず、です。
ワクチンの有効性云々の議論もあると思いますが、治療薬がまだ開発されていなかった当時、いかにワクチン接種を早く進められるかが経済活動の正常化、もとい景気回復の鍵を握っていました。景気回復をいかに早く達成できるかは、それはそのままコロナ後の世界経済や、その経済力に裏付けられた安全保障環境の力関係に直結する問題です。 それでありながら、当時の政府はあまり活発な経済活動を行わない高齢者が最後の1人まで打ち終わらないと次の世代の接種は開始できない、という悠長なことを言っていたのです。もともと「ワシはワクチンなど打たん!」と頑固に拒否する老人に対しても、仮にその方がコロナに罹患し重篤化した際に、無理にでも打たせていなかったことを後から責められるのが怖かったのでしょうか。
ところがこれも良い意味でなし崩しになっていきました。職域接種が解禁となったことで次々と現役世代の「割り込み」が許されていきました。この流れに乗るかのように、私が住む自治体でも現役世代の接種を前倒しするアナウンスがあり、そのアナウンスからしばらくして、更にスケジュールを2週間ほど「前倒し」するというアナウンスがありました。 役所や公的機関は慎重なあまりスケジュールが後ろ倒しになることはよくありますが、多少のリスクを取ってでも「前倒し」で進めるという姿は正直初めて見たと思います。
「緊縮こそ正義」という風潮の終焉
※この話を解説するには、ここ20年~30年の日本経済の流れから追っていく必要がありますので、少し本筋とは逸れる話になりますがお付き合いください。
私は1985年生まれで、バブルが弾けたのは1991年。ちょうど物心ついた頃と重なります。 思春期、青春期はまさに日本経済にとっては暗黒期で、「改革」の名の下でずっと日本経済がもがき苦しんでいた記憶があります。
ただし、今思えば「改革」とは名ばかりで、国も企業もやってきたことと言えば未来への投資や中長期的に必要な戦略に充てるべき人材、お金、時間を切り捨て、従業員の給料を下げる、もしくは非正規に置き換えてコストカットをし、目先の利益率UPで成果を上げることばかりやってきました。2000年代に日本で優秀な経営者と持て囃された人が功績として挙げているものの多くは、結局のところ徹底的なリストラ(首切り)とコストカットをしただけ、というケースが多かった。
あの時、日本の多くのレガシー企業は技術開発や研究への投資、人材への正当な報酬をカットし続けましたが、この手の施策の悪影響はすぐには出ません。むしろ、あの当時は先人が投資してきた分の成果を食いつぶしながら、未来のために投資すべきお金は手元に残していたわけですから、短期的な成果が上がったように見えたのは当然のことです。
それから10年、20年が経過した今、どうでしょうか。
「新たなイノベーションや見たことのないサービスを生み出した」という、本来なら礼賛されるべき経営者や企業はほとんどアメリカや中国から生まれており、かつては世界を席巻していた日本の製造業は競争力を失ってしまいました。「コストカットのプロ」なんかを礼賛している間に、日本は本当に停滞してしまっていたのです。
これは企業に限らず国にも同じことが言えます。 1990年代後半から投資という投資を片っ端から削減し、本来は残しておかなければならなかった研究や教育に対する投資も大幅に削ってしまいました。特に基礎研究の分野は深刻です。
その影響は時を越えて2020年「日本の今の技術ではワクチンすら作れない」という形となって表面化しました。日本は1980年代、世界最高峰の技術力があり、米国などにワクチンの技術やノウハウの提供を行っていたにもかかわらず、です。
私は何も、おおらかな昭和時代の放漫財政が必ずしも良いとは思いません。いずれにせよ(本当の意味での)改革は必要だったとは思います。それに、歴史上の出来事に対して後世の人間があれこれ批判するのはフェアではありません。
ただし日本の場合、政策の誤りを認めて変更するということからあまりにも長い間逃げてきたのではないかと思います。 企業も国も緊縮一本槍の政策に走り、一向に賃金が上がらない、GDPも上がらない、米国には差をつけられ、中国に追い越され、ジリジリと他の東アジア諸国も肉薄されてきている。
政治家やら経団連やらが声高に叫んでいた「改革」とやらが進めば日本は再生すると言い続けて10年が経過し、20年が経過したのに、生活は楽になるどころか増税で苦しくなり続けてきた。しかも賃金も上がらない…。なのに日本はその道を邁進し続けてしまいました。
そんな苦しい状況下であるにもかかわらず、2010年代の前半までは「より賃金の安いアジア諸国と戦うには我々日本人の賃金も据え置く他ないんだ」というロジックが多用され、しかも私を含め多くの現役世代も渋々それに納得していた面もあったと思います。
そんな状況が20年以上もダラダラと続いてきた中で起きたのが今回のコロナ禍です。 欧州や米国は適切な投資をしてきたため、デジタル分野は相当に進んでいて給付金などの国民へのきめ細かい救済策が迅速に行われました。日頃から有事に備えた投資もしており、ワクチンもあっという間に作ってしまいます。
薄々は気付いていたかもしれないけれど、世界的に見れば豊かで、それなりの技術力があると思っていた自分の国が、完全に他の先進諸国と水を開けられている現実を、私を含めた多くの国民がまざまざと見せつけられたと思います。
更に、賃金が高いことが競争力の足を引っ張っていると言われ続けていたのに、気付けば先進国の中で賃金はかなり安い方の部類に入ってしまっていたことにも、かなり多くの国民が衝撃を持って受け止めたと思います。事実、日本の賃金が上がってこなかった問題に対して言及する評論家もかなり増えましたし、報道も増えました。
これに対し、コロナ禍という一種の有事であるが故、政府も普段では決断できないような大胆な経済政策や景気刺激策を2020年~2023年にかけて決断しました。これをバラマキと批判する向きもありましたが、結局のところ需要は喚起され、インフレもコストプッシュ型からディマンドプル型に移行していき、その結果企業の業績も改善。業績が改善した企業からその利益を原資に賃金を上げていくというサイクルに入っていきました。
つまり、皮肉にもコロナ禍をきっかけにようやく約30年近く続けてきた緊縮的な政策を官民ともに改め、賃金と物価が下がり続けてきたデフレ経済から脱却できたのです。 ここ数年の一連の流れを見て、改革の名を借りた行き過ぎた緊縮政策は間違いだったという論調がかなり強くなってきていると感じます。それでも時々増税をチラつかせる現政権には呆れ返りますが、これも10年くらい前であれば国民も「改革だから仕方がない」と渋々受け入れていたと思います。今は少しでも増税の気配がすると世論がかなり反発するようになりました。岸田政権は発足当時、大増税政権となることが予測されていましたが現段階で実現した増税は限定的です。
このように、かなり皮肉な話ではありますが、コロナ禍がここ20年~30年に渡りマトモな成果が出なかった日本の緊縮政策を転換させるきっかけになった側面があると思います。
給料が上がらないのは、必ずしも自分だけのせいではない、という論調が生まれる
前述において「改革」という言葉(※実態は単なるコストカット)が持て囃されていた時代に同時に持て囃されたのが「成果主義」という考え方です。
年功序列ではなく、完全に個人の成果によって給料が決まるわけで、良く言えば給料がたくさんもらえるチャンスがある、悪く言えばどんなに待遇が悪い環境にいてもすべてが自分の責任ということにされてしまう、ということになります。私が社会人になった2007年頃はこの成果主義がかなり持て囃されていました。
先に言っておきますが、私はこの「成果主義」的な考え方には概ね賛成です。ただし、1990年代後半以降に持て囃され成果主義は、国策や企業経営の失敗の責任を末端レベルの従業員に負わせる口実として利用されてきた側面が強いと感じます。私自身も割と単純に「給料が安いのは自分の責任。だからそれに文句を言うくらいなら努力しよう」みたいに考えていました。
当然、給料というのは事業や収益への貢献度で決まるべきものだと考えていますが、結局これも、置かれた環境の中だけで実現するのには限界があります。 結局のところ給料というのは、自分の能力×その時の経済政策や景気で決まるということで、いくら能力があってもそもそも景気が拡大していないと給料なんてそうそう上がるものではない、ということに私を含め多くの国民が気付いた感があります。
少し前であれば、「自分の給料が安い」と窮状を訴える人がいたら「それはお前の努力が足りないだけ」の一言で片付けられていました。こうして行き過ぎた成果主義が蔓延した結果、企業も国も自分たちの決断の誤りを働く人の自己責任に帰結させてきたことで、その誤りを正す機会が失われ続けて来たのではないかと思います。
ただ、これも前述の通りコロナ禍において政府が大胆な経済政策を行った結果、下がり続けてきた名目賃金が上昇に転じ始めました。一連の大胆な景気刺激策は、日本の場合はコロナという有事だから決断できたことですが、需要喚起のために政府が大規模な景気刺激策を行うなんて、日本以外の先進国ではずっと前から当たり前に行われてきたことです。イノベーションや企業間の研究開発競争は適度な需要過多状態でないと起き得ないからです。
日本の場合は名目賃金は上がっていますが、実質賃金は下がっています。つまり、インフレに賃金がついて行っていない状況ですが、それでも供給過多のデフレ状態よりはずっと良いと考えます。デフレ状態での競争はイノベーションや研究開発ではなくすべてが価格競争に向かい、緊縮やコストカット、さらなる賃金カットへ誘導されるからです。
デフレが続けば海外との物価差が広がりますが、中には「海外との物価差が広がろうと、国内だけで生活していれば問題ないじゃないか」と主張する人がいますがこれは誤りです。食品や衣料品など生活必需品の多くを輸入に頼る日本が海外との物価差が広がると、海外から仕入れている原材料費が高騰するのに国内の需要は高くないから給料が上がらない(むしろ下がる)スタグフレーションという最悪のシナリオに突入します。
このように自分の給料というのも、実は自分の実力以外に国の政策の成否の影響も強く受けるという事実に私も含めて着目するようになった人が増えたのも、コロナ禍において変わった大きな点ではないかと思います。
今後もこの「変化」の流れに期待したい!
コロナ禍の間、不自由な暮らしを強いられた上に楽しみも奪われ、自分の暮らす国の限界も見え、総じて言えばお世辞にもポジティブな印象のある期間とは言えません。ただ、一応の収束を迎えた今だからこそ、敢えて明るい部分に注目してみました。
私は基本的に、「変化」を楽しいと感じる方の人間です。ですので、今度は有事に頼らずともダイナミックに(もちろん良い方に)日本が変わっていくことを願います。