どうも、英司です。
少しご無沙汰しております。
11月から12月は公私ともに忙しく、なかなかブログも更新できず、更新を楽しみにしてくださっている方は(いるのかな?笑)すみませんでした。
さて、2019年についてあれこれ書く前に、少しだけ2018年のことについて書かせてください。
2018年の漢字は…
昨年は日本各地で災害が相次いだこともあり、選ばれた漢字は「災」でしたね。
なんとなく、良い印象のない漢字が選ばれしまいました。
私個人の昨年を表す漢字は何かと考えたとき、思い浮かんだのは「選」でした。
2018年は、これまでの年以上に様々な「選択」に迫られる場面が多い1年だったと思います。
昨年は有難いことに、5月に社内の等級も上がり、給与体系も役職も変わり、会社生活には大きな変化がありました。
もう30代も半ばに差し掛かり、仕事面でも自分で手を動かして何か作業をする、というよりは「適切な判断をする」ことが主な仕事になってきています。
「手を動かすのが早い」という能力よりも、市況感や社会情勢、業界構図や社内の状況など様々な情報を正確に把握した上で、総合的に最も良い結果をもたらす、という「選択」をして、方針ややり方を決める/つくる、という能力が求められるようになった1年でした。
あと、プライベートでもけっこう辛い選択があった1年でした。こればかりは情動も絡むことですから、適切な選択だったのかどうかは、まだわかりません。
楽しいことも試練もけっこうありましたが、それなりに充実した1年だったと思います。
前置きは以上にして、ここからブログの本題です。
個性を伸ばす教育ブーム時の「好きを仕事に」の大合唱
私は1991年に小学校に入学し、2000年に中学校を卒業しています。つまり、ちょうど90年代に義務教育を受けました。
その頃はちょうど、日本が長く採用してきた詰め込み式の教育が時代に合っていないのではないか、ということが割と社会的に大きなイシューになっていて、特にグローバル化の遅れが響き底なしの不景気となった中学生くらいの時にその議論は一気に加速しました。
日本が画一的な人材を大量に育てる教育方針から、個性や個人の意思を尊重してそれを伸ばす教育に転換しつつあった時代です。
あの頃、まだ教育現場はすごく手探りで、ひとまず教師たちが口々に言いだしたのが「将来の夢を持ちなさい。好きなことを仕事にしなさい」ということでした。
私はこの言葉にひどく戸惑ったのを今でも覚えています。なぜなら「好きなことなんてなかったから」です(苦笑)
別に特段暗いタイプの生徒ではなかったとは思うのですが、うちは父も会社員でしたので、それまでずっとなんとなく自分もサラリーマンになると思っていました。しかし、当時はそんなことを言うと「夢がない」だの「もっとちゃんと考えて」だの、ひどい場合「ふざけてるの?」みたいなことを教師から言われて、「個性って何だよ、めんどくせ~」みたいな気分でいました。
その後、高校、大学に進学し、趣味に使う時間やお金もできて、なんとなく「好きなこと」もできました。特に大学の時は映画制作のサークルに入っていて、脚本を書いたり編集したり、監督も勤めて、それに取り組んでいる時はそれこそ寝食も忘れていました。
あとは文章を書くことも好きで、このブログを始める前にもブログをやっていたり、時々アルバイトでライティングの仕事も請け負っていました。
中でも映画は作るのも見るのもすごく好きで、都内のミニシアターなんかに足繁く通っていたものです。でも、結局就職活動のとき、映画会社や映像制作会社を受けたわけでもなく、卒業後は広告会社に勤務することになりました。
そこで、特に興味があったわけでもない求人広告の部門に配属され、営業兼求人広告原稿のライティングの仕事をするようになりました。もともと文章を書くのは好きでしたし、営業は大変でしたがそれなりに社会人生活を送っていました。
その後、縁あって専門学校で学生や入学を検討している方々向けのパンフレットや各種印刷物、WEBサイトの編集・ライティングと、学生集めのためのWEBマーケティングの仕事に就くことになりました。
そちらで3年間お世話になった後、27歳の時に現在の会社へ入社しました。
「好きなこと」と「得意なこと」は違う
なぜこんな話をしているかというと、今日、人気塾講師の林修さんがテレビで高学歴ニートの方たちに熱血授業をやっており、世の中の仕事には「好きなこと」「そうでないこと」と、「できること」「できないこと」の2軸がある。しかも、「好きなこと」「そうでないこと」の方の座標軸は偶然だけど、「できること」「できないこと」の座標軸は必然、という言葉がありました。
これ、今までの仕事人生の中で私がものすごく実感してきたことと合致したんですよ。
少し言葉は違いますが、私がこの年になってすごく感じるのは「好きなこと」と「得意なこと」は違う、ということでした(もちろんこれが一致している人もいますが)。
今、私は人材業界で働いており、主にWEBマーケティングや宣伝・広告の立案やディレクション、プレスリリースの作成、新規事業への参画、最近では経営企画的なことも加わり、大手企業でないこともあって業務に明確なテリトリーがあるわけではありません。
でも、当然のことながら人材業界が好きだったわけでもなければ、なんでも屋みたいな仕事を最初から好き好んでやりたかったわけではありません。
ただ、今の仕事は確実に「できること」であり「得意なこと」だと自覚しています。そして、社会人経験や転職経験を経て、「好きなこと」より「得意なこと」を仕事にする方がずっと充実する、ということにも気づきました。
好きなことをしているのに活躍できないのは辛い
かく言う私も、一度今の会社を退職し、1年半だけ別の会社に移っていたことがありました。自分の中ではニュースや雑誌を読むのがすごく好きで、しかも文章を書くのが好きだったので、割と名の通る媒体を持つ会社に転職をしました。
そこで編集や記事制作の仕事をするようになり、それは確実に自分にとって「好きなこと」でした。入社当時は「これまでの下積み生活を経て、やっと好きなことを仕事にできた!」なんて浮かれていたものです。
しかし、私の思惑は外れることになります。
外部のライターさん含め、自分より優秀な編集者やライター、ディレクターなんてものすごくたくさんいるんです。あと、ニュースや雑誌を読むのが好きと言っても、もっと好きで驚くくらい読んでいる人もたくさんいました。
そして、少し大きな会社だったのですごく分業化も進んでおり、どちらかと言えば会社側も余計なことは考えずに自分の部署の仕事だけやることを求める傾向もありました。
加えて当時の上司は1日中ネットサーフィンばかりで、口は動くが手は動かず、会社の方針や決定事項に対してもずっと愚痴ばかり言っていて、典型的な日本の大企業で批判される老害管理職そのものと言った感じ(笑)
当然その上司との仲は険悪で、毎日会社に行くのがすごく苦痛になっていました。その時に「好きなことと得意なことは違うんだ。そして、以前やっていた仕事は確実に『得意なこと』の方だったんだ」と確信するに至りました。
特に、「好きなことをやっているのに活躍できていない」という状況はとても辛く、非常に激しい敗北感を味わうことになります。逆に、得意なことをしているのは、めちゃくちゃ楽しいというよりは「特に仕事に苦痛を感じない」という感覚に近いです。
ただ、この「仕事に苦痛を感じない」ことは、人生の質を上げるのにはとても重要なことだと思いました。
なぜ優等生がニートになっているのか
番組では、敢えて非常に高学歴なニートの方々を招いていました。ゲストたちは皆、口を揃えて「勉強ができて頭が良い人たちなのに何で…」みたいな、お茶の間の疑問を代弁するかのようなリアクションです。
高学歴ニートたちの主張を聞いていると、みんな口々に「好きな仕事しかしたくないから働きたくない」と言っていたのです。
ゲストたちは「世の中そんなに甘くないよ~」みたいなリアクションを取っていましたが、私はなぜ彼らからそういう発言が出るか、なんとなく理解できました。
それは他でもない、先で述べた「好きなことを仕事にしよう」ブームの功罪だと思いました。私の時代からこのブームは続いていて、小さな頃に好きなことを夢見れば、必ずその仕事に就ける、という、特に根拠のないことを教師が吹聴していたことは否めません。
私のように成績も芳しくなく、教師や親からも特に期待されていなかった生徒は、内心「そんなわけないじゃん、バカバカしい」なんて思っていたものです。
しかし、おそらく彼らは幼い頃から成績が良く進学校に進み、先生や親など、周りの大人たちの期待を一身に受けて来たのでしょう。優等生としてそうした環境で過ごしていたとしたら、先生の言うことを本当に心の底から信じてしまっていたのかもしれません。
また、働いた経験のない、それなりの年齢の男性の口から当然のことのように「自分はいつだって仕事を選べる立場である」という趣旨の発言が、何の恥じらいもなく飛び交っているあたり、そういう意識が尚更「好きを仕事に」の考えを加速させているのだな、と思いました。
結局、働かなければ「できること」も「得意なこと」もわからない
結局、文章を書くことも映像を作ることもそうでしたが、趣味として好きなのと、職務として本気でやって活躍して、そのまま好きでい続けられるか、ということでは、圧倒的な差が存在すると思います。
だけど、小さい頃から「好きなことを仕事にしなさい」と言われ続けていると、「(趣味として)好きなこと=得意なこと」と考えがちなのかな、と思います。
私の場合は、やはり自分に何が向いているか、何が得意なのかがわかったのなんてここ最近ことだと思います。それは、やはり「(趣味や娯楽ではなく)職務として」様々なことに実際に取り組んでいくことでしか、見つけることができないことだったと思います。
昔、「働いたら負け」なんて言葉も流行り、実際私も、生活保護を受給していることを自慢げに語るゲイを見たこともあります。
しかし、これは負け惜しみでもなんでもなく「カネがあること」よりも「カネを稼ぐ能力があること」の方が、何十倍も大切なことだと思います。
よく、昔の日本のODA事業が「井戸を掘って帰って来るだけで、本当は井戸の掘り方を教えて帰ってこないといけない」なんて言う比喩で批判されていましたけど、その話とすごく似ていますね。
これと一緒で、親も年を取れば働けなくなります。年金だってアテになりません。ほとんどの家庭は両親が食べていくのに精いっぱいでしょう。このように、環境が少しでも変わったら生活が破たんしてしまう、というのは、本人たちにまだ実感がなかったとしても、ものすごい脆さを抱えて生きている、ということです。
今日の番組の最後、林修さんの話を聞いて影響され、就活を始めた人が1名いたようで、その人にインタビューを取っていました。
他人ごとながら、彼は働くことを通して、得意なことが見つかるといいな、と思いました。
そして、2019年の抱負
なんだか久々にテレビで良い話が聞けたので、つい熱くなってしまいました(笑)
ってなわけで、いよいよ始まった2019年ですが、今年のテーマを漢字一文字で表すとするなら…
「局」
という漢字を意識していきたいと思っています。
よく使う言葉に「大局観」というものがあります。冒頭でも述べた通り、仕事で求められる能力は20代の頃とはやはり変化してきています。
そんな中で必要なものがまさにこの「大局観」というものだと思います。
あとは「局面」なんて言葉も耳に馴染みがありますね。
何か物事が大きく動くとき、という意味だと思いますが、こういう場面では必ず「選択」が迫られます。その瞬間に、適切な選択をできる準備をちゃんとしているか?と聞かれたら、なかなかYESとは言えないのが正直なところです。
そんなわけで、2019年はこの「局」という漢字を意識していければと思います。
プライベートも充実させたい
なんだか、2018年は仕事上での変化も多く、あまりプライベートにまで力を注げなかったかな、という感想を持っています。プライベートな面でいうと…
- 人と疎遠にならない
- 節酒を頑張る
- ジムをサボらない
- 恋愛をする
あたりでしょうか(笑)
実際に節酒は今けっこう大きな問題なんです。数年前までは週に5日も6日も飲んでいましたが、それは無事断酒に成功し、今は週2日くらいになったまでは良いのですが…1度に飲む量がけっこうな量なんですね…。記憶がなくなることもよくあり、今年は「ちょうど良い時に止める」ことをしっかり覚えたいと思います。
ジムも、いつも春先になって夏が近づくと頑張るのですが、秋~冬はまるで冬眠状態です…。ゲイ業界には「20代は顔、30代はカラダ、40代はカネ」なんて言うおぞましい格言もありますので、もうちょっと意思をしっかり持たないとですね。
あとは恋愛。これは毎年言っていると思いますが、今年こそは!(笑)
そんなわけで、2019年もマイペースに更新していくと思いますので、今年1年、よろしくお願いします。