どうも、英司です。毎度のことながら更新が久々になってしまってすみません。2021年9月現在はメディアも自民党総裁選一色。それに負けじと野党も政策の発表や選挙協力を進めるなど、総選挙を前に政治関連のニュースが大部分を占めるようになって来ました。
LGBTと政治というのは、度々議論に上がる議題でもあります。
一般的に、自民党はこうした政策には無関心もしくは冷淡で、リベラル系の野党は熱心というイメージがあります。
ただし、必ずしもそれが当事者の投票行動には繋がっていないようにも見え、このあたりは私もヘテロセクシュアルの友人から不思議がられることが時々ありました。今回は、こうしたLGBT支援策と投票行動について解説していきたいと思います。
※当記事内で私は「LGBT」という言葉を多用しますが、あくまで私自身のセクシュアリティである男性同性愛者(G)の立場としての解説が多くなりますので、ご了承ください。
LGBTに対する与野党の温度差
最近では自民党の中にもLGBTが抱える問題、特にトランスジェンダーの方が抱える身体的・社会的負担や同性婚の是非に関して真剣に考える議員さんも増えては来ていますが、党の看板政策になるようなことはありませんし、それは今後もあり得ないことでしょう。
一方、2021年現在野党第一党である立憲民主党は女性、身体障害者、非正規雇用で働く人に並んで「LGBT」という言葉を頻繁に使います。
先日はこんなニュースまで発表されました。
立憲民主党の枝野幸男代表は15日、次期衆院選に勝利した場合、LGBT(性的少数者)を担当する閣僚ポストを置く意向を示した。「(政権獲得後の)約束として受け止めていただいていい」と述べた。 15日に都内の性的少数者に関する施設を視察した後、記者団の取材に応じて明かした。同時に担当閣僚を支えるスタッフらのチームをつくると話した。性的少数者に関する施設の拡大にも言及した。
担当閣僚の創設ということは、LGBT担当相ということでしょうか。すごい力の入れようです。ただし、こうした政策は必ずしも当事者に歓迎されているとは言えず、むしろ安易な票集めの魂胆が見え隠れしていると嫌悪感さえ誘発させてしまっています。
これまでにも立憲民主党を始め社民党や共産党は、積極的にLGBT支援策を発表してきましたが、LGBT当事者がこれらの政党の主要な支持母体になったという話は聞きません。
では、なぜこうしたLGBTに向けた政策が当事者の投票行動に繋がらないのか、私なりの見解を解説していこうと思います。
立憲民主党が抱く誤ったLGBT像
立憲民主党は前述の通り、LGBTを女性や身体障害者、非正規雇用で働く人などと並列の存在として、いわば経済的困窮者という前提で語ります。
ただ、話をLGBTの中で一番のボリュームゾーンである(と考えられる)男性同性愛者に焦点を当ててみましょう。
男性同性愛者の多くはLGBTであると同時に、日本で働く社会人や将来のための勉強をしている学生であり、日々仕事や学業をこなし、働いてお金を稼いで好きなものを買ったりレジャーに使ったりしている「普通の独身男性」です。むしろ、仕事などの社会的な面では男性ジェンダーの恩恵を受けている側の立場で、セクシュアリティがそのまま経済的な困窮に繋がっているケースは極めて低いと言えるでしょう(トランスジェンダーの方々は話が別ですが、ここでは割愛)。
一方、立憲民主党などがLGBTと並列に扱う女性や身体障害者、非正規雇用で働く人などは、その属性が「経済的困窮」に直結しているという点が決定的に違います。しかも、このあたりの認識のズレは年々拡大しているようにさえ見えます。
世の中の人々の関心は、なんだかんだ言って「経済」
このように、私には立憲民主党は決定的にLGBT、殊に男性同性愛者の置かれている社会的立場の現実を見誤っているように見えます。
LGBTのみを対象にした大規模な統計調査が行われたことがないので断言できないのが心苦しいところですが、少なくとも都市部に暮らす男性同性愛者の一般的なペルソナは、男性で、独身で、正社員もしくは専門的な技能で所得を得ている人たちという、経済的な困窮とはあまり縁のない人たちである、というのが実態ではないでしょうか。
それどころか、子供を持つことがなく、それ故に広い住宅も必要がないケースも多いため同年代のヘテロセクシュアルの男性よりもレジャーや買い物に使える可処分所得が多く、好景気が訪れればその恩恵を存分に受ける立場ですらあります。
そうなれば当然、政治に関する興味の対象はLGBTへの支援策よりも景気対策や成長戦略となります。そこまで細やかに政治に興味を持っていない人でも「なんとなく日本の経済を盛り上げてくれそうな人たち」へ支持が流れるのは当然のことで、そういった人たちにいくらLGBTへの支援策を訴えても、それがその政党や政治家の支持へ直結することはありません。
LGBTは再分配が必要な被福祉対象者なのか
ここまで見てきたように、LGBTを社会的弱者や被福祉対象者として語る立憲民主党などに対して違和感を覚える当事者、殊に男性同性愛者が少なくないはずです。
また、LGBTの問題に関わらず立憲民主党などのリベラル系の政党は「富の再分配」の話がとても好きです。その割に経済における成長戦略には乏しいどころか、経済成長は格差を拡大させるという主張をする議員さんも多いため、福祉政策の財源は当然増税に頼ることになり、実際に立憲民主党の代表である枝野幸男さんも最新の著書の中で増税について言及しています。
ただし、前述の通り特に男性同性愛者の場合はこうした再分配を重視する政党の恩恵を受ける側ではなく、むしろ「割を食う側」になる可能性が極めて高くなります。
一方で、自民党も今回の総裁選でよく「再分配」という言葉を使いますが、自民党の言う再分配は立憲民主党の言う再分配とは少しニュアンスが違います。
立憲民主党は生活に余裕のある国民から困窮する国民への再分配、つまり「国民から国民」への再分配であるのに対し、今回の自民党総裁選で頻りに語られている再分配は内部留保の溜め込みに勤しむ企業から従業員への再分配、つまり「企業から国民」への富の移転、という文脈でこの「再分配」という言葉が使われています(実際、河野太郎さんはこの再分配の促進を目玉政策として掲げています)。
そうなれば当然、ここで述べてきたような男性同性愛者の場合は後者の再分配の恩恵に関しては「受ける側」になる可能性が極めて高く、これが投票行動に繋がる可能性も高くなります。
このように、立憲民主党などのリベラル系の野党は、LGBT、特に男性同性愛者の置かれている立場についての前提を決定的に見誤っているのではないかと考えています。
唯一の政治的イシューになり得た同性婚も…
ただし、ここまで述べてきたような男性同性愛者の立場でも、さすがに同性婚の実現ともなれば法律を作ることになるため、立法府、つまり政治の力を借りなければなりません。
これも、政権与党である自民党がずっと頑なに拒否し続けて来たのであれば、このワン・イシューで当事者の支持を一定数は得られた可能性もありますが、自民党は同性婚やそれに準じたパートナーシップ制度の導入に関しては否定一辺倒ではなく、むしろ議員個人レベルでは賛成を明言する議員さんなども出てくるなど、意外にも(?)柔軟な姿勢を見せているために、このワン・イシューだけで立憲民主党などの野党が支持を得ることができていないのが現状です。
「小さな声を聞いている」とは言うけれど
現在経済的に困窮してしまっており、それが政治や社会のせいであると考えている人もいると思いますし、実際に失政によって大きく割を食った人たちがいるのも事実です(就職氷河期世代などがその典型例です)。
しかし、例えば立憲民主党などが「小さな声」として耳を傾けているその声が、本当にその属性に属する当事者全体の実態を反映しているものなのか?本当に100%社会や国のせい、自民党の政策のせいで困窮に陥っているのか?などは、もう少し丁寧に精査する必要があるのではないでしょうか。
弱者を救うのは政治の使命ではありますが、自分は弱者である、と主張する人の話を無批判にすべて鵜呑みにして政権批判に繋げるのは、国政政党としてはあまりにナイーブ過ぎると言わざるを得ません。
こうした背景を考えるにつけ、先に紹介した記事でレインボーカラーのマスクをして意気揚々とインタビューに応える枝野さんと福山さんの写真からは非常にシラけた印象しか受けませんでした。
LGBTであるというのは、数あるアイデンティティの1つでしかない
このブログでも再三に渡って述べて来ましたが、私にとって自分がLGBTであるというのは、数あるアイデンティティの1つでしかありませんし、恐らく同じように考えている人も多いことでしょう。
私はLGBTであると同時に、日本国民であるし、社会人であるし、会社の一員だったり、地域社会の一員だったり…。場面によってこれらのアイデンティティのうちのどれが強く意識されているかはその都度変わります。
LGBTの権利獲得は良いけれど、それにはまず日本がこれからも平和で安全に暮らせるための外交や安全保障があって、今後もより豊かに暮らせるための経済における成長戦略があって初めて考えられる話です。ですので、立憲民主党などの野党はまずはこれらの具体的な戦略を提示して初めて国民から広く支持されるようになるのではないでしょうか。
また、私は今後、「自分がLGBTである」ということを意識しなくても暮らせる世の中が理想だと考えています。同性愛者であっても当たり前に結婚ができて、同性同士で何の困難もなく家を借りることができて、自分の性別に対する違和感に苦しんでいるトランスジェンダーの方々も、保険適用内で治療が受けられるようになるなど、こうした風景が新しい日本社会の日常になることがゴールだと考えています。
ですので、LGBT担当相というポストを作るとか、似たような組織やNPOをたくさん作って補助金をバラ撒くとか、そういった「LGBTが救われるべき存在である」ということを固定化させるような政策が当事者の幸福に繋がるとも考えていません。
最後に
このように、立憲民主党などの野党と私の当事者としての感覚とのズレについて今日は解説して来ましたがいかがでしたでしょうか。
また、再三にはなりますが、LGBTとは言えこれは男性同性愛者である私の見解です。
少し触れましたが、トランスジェンダーの方に関しては治療には肉体的・経済的な負担が大きくのしかかります。性別適合手術を受けるより前は戸籍上の性別と見た目の性別が違っているために公的書類の提出が必要となる正規雇用の職に就くことをためらったり、名前を呼ばれるのが嫌で体調が悪くても病院にかかることもできなくなってしまったりと、本人のセクシュアリティがそのまま経済的困窮や生存権を脅かす問題に発展しているケースもあります。
ですので、一概に「LGBTに救いの手など必要ない!」と主張しているわけではないことは最後に付け加えておきたいと思います。
このあたりのトランスジェンダーの方々が抱える問題について興味を持たれた方は、私が聞きかじった内容を披露するよりも当事者の方の話が参考になるかと思います。
トランスジェンダーであることを公表し、現在世田谷区議会議員をされている上川あやさんという方が出している著書「変えていく勇気」にそのあたりの話が詳しく書いてあります。
上川さんご自身が人生の途中までは「正社員として働く男性」として暮らして来て、当然自分の性別への違和感には苦しんで来たものの、経済的には特に不自由のない安定した生活をして来ました。しかし、女性として生きていくことを選択した後も、自身の性別への違和感という問題は解決したものの新たな困難に直面します。
そういった背景から、男性として生きてきた半生と、女性として生きてきた半生、その両方を経験した方として非常に貴重な体験を書かれています。
また、今回の記事の内容にも重なりますが、自分の信念や本当にやりたいことに注力するためには、それよりも先にまずは区民全体のためになることに着手したという経験も書かれており、なかなかおもしろい内容になっていますので、興味を持った方はぜひご覧ください。