どうも、英司です。ゴールデンウィークも終了してしまいまして、皆さまいかがお過ごしでしょうか。
このゴールデンウィークは何かと小粒な予定がけっこう入っていて、なかなか楽しかったです!!日帰りではありましたが、ちゃんと実家にも帰れましたし、姉や甥っ子姪っ子にも久々に会えました。
さて、そんなわけで、こちらのブログをご覧の方の中には、クローゼットなゲイの方や、まだ若い方も多いということを最近知りましたので、また少しばかりセクシュアリティに関することを書きたいと思います。
「カミングアウト」に関して
カミングアウトに関しては、僕の友達の中にもいろんなスタンスの人がいます。会社なども含め、ほとんどすべての人は自分のセクシュアリティを知らせている、という人。職場や学生時代の友人の中で、信頼の置ける一部の友人にだけ知らせている、という人。ゲイの仲間内以外の人は誰ひとりとして自分の本当のセクシュアリティを知らせていないという人。誰にも知らせていないはずなのに、なぜかバレてる、という人・・・(笑)。
人それぞれいろいろなスタンスがあって良いと思います。
僕はゲイのコミュニティに出てきたのが19歳の終わり頃でした。当初は誰にも自分のセクシュアリティを打ち明けるつもりはなく、むしろ自分には死んでもそんなことはできないとすら思っていたほど。(それが今じゃあ顔出しでSNSだのブログだのやっている・笑)
当時大学ではサークルやゼミでの友人も多くいて、その規模に比べてゲイの友人はごく僅かでした。
それに、大学1年~2年の生活ぶりを周囲の友人はよく見ていたし、僕が年頃の若い男子大学生なのに女の子との浮いた話が一切ない点などから、周囲からは恋愛そのものに興味のない文化系の趣味に没頭するタイプの学生と見られていたようでした。
しかしながら、折しも僕が大学生活を送った2003年から2007年という時代は、大学生ゲイサークルの全盛期。それなりの規模のある在京の総合大学には、どこにも大規模なゲイサークルがあり、複数サークルが合同でレストランなどを丸々一軒借りて頻繁にパーティをやったりしていた時代です。
僕もこちらの世界へのデビューが大学サークルに入ったことでしたし、自分のいた大学にも大きなゲイサークルがありましたから、当然ながら、あらゆる学校に通うとてもたくさんの同年代の学生のゲイの友達と触れ合っていくことになりました。
これまでの、恋愛とは無縁だった自分の生活に新たに「ゲイ業界」という空間が加わっていったことで、僕はその中で同じセクシュアリティの友達といろいろなことを打ち明けあう機会もあったし、遅まきながらそれなりに恋愛なども経験しました。高校時代に経験したノンケへの苦しい片思いではなく、お互いが同じセクシュアリティで、あらゆる偶然の中から出会うことができ、通過してきたいろんな出会いの中からお互いに自分の意思で選んだ相手との恋愛、つまるところ、同年代のノンケの男女と変わらない恋愛、と言えるのでしょうか。
そうした人脈や経験を築いていく中で、次第にこれまで親しくしていた大学の友人たちやアルバイト先の友人たちに対して、隠し事をするような感覚が生まれてきました。
ゲイの世界など何も知らず、同じセクシュアリティの友人がいない頃は、僕の生活には裏表はありませんでしたが、次第に辻褄を合わせるために適当な嘘を言ったり、ゲイの友達と遊んでいた次の日なんて「昨日何してた?」とかいうノンケ友達からの挨拶代わりのような質問にさえも、神経を尖らせるようになっていきました。
ゲイ業界に出る前の20歳までちゃんと誰かと付き合ったこともなかったし、ちゃんとした恋愛すらしたことがありませんでした。それまで、高校時代から一貫して僕はけっこう男女ともに友人から恋愛の相談を持ちかけられることがたびたびありましたが、自分にちゃんとした経験がないため、何も的確なことを言うことができませんでした。
(あるいは、そういう相談は大抵の場合自分の胸の内を吐露することで気が済んでいくことが多いので、僕が的確な意見を言えなくても問題がなかったのかもしれません。)
ただ、自分が初めて恋愛を経験していく中で、かつて友人たちが自分に相談してきたことや、打ち明けてくれた胸の内に沸き起こった感情などが思い出されていき、「ああ、あの時あの友人が言っていたのはこういう気持ちなのか」と言った具合に、後からわかっていくことも多かったです。
ゲイとして振舞う顔と、大学ではこれまで通りノンケとして振舞う顔と使い分けていたけど、次第に「今ならもっとノンケの友達たちとも以前よりも分かり合えるのに・・・」と思いつつも、「いや、そんなことを打ち明けたら自分は本当に友達を失ってしまう。きっとみんなゲイなんて気持ち悪いと思っているに違いない」という思いとが交錯して、それはそれで少し複雑な時期を過ごしました。
しかしある時、20歳の夏を迎える頃に、僕は初めてのカミングアウトをする決意をしました。打ち明けようと思った相手は、同じ学科で1年生の頃から語学などのクラスが一緒だった男の友人です。
その友人のことは信頼していたし、何より彼はとても大人っぽい部分があり、もしリアルにドン引きされたとしてもそれなりに僕が傷つかない程度のリアクションで留めてくれるのではないか、という、今考えるとちょっと甘い考えもあり(笑)、お昼に誘いました。
お互い午後一番の授業は空き時間で、昼休みと合わせると2時間以上ヒマな時間があったので、適当に他愛もない話をしながら大学の周りを散歩して、ケンタッキーに入りました。
切り出す時は本当に勇気が要りましたが、意を決して話し始めました。僕が「実は、最近付き合い始めた人がいる。」と言うと、それまで2年以上恋愛沙汰がなかった僕にとうとう彼女ができたのかと、興味を持ってくれたようで、「マジで?誰だれ?」と食いついてきてくれました。
一息飲んだあと、「・・・実は、その相手って男なんだよね。」と打ち明けると、数秒の沈黙があった後、「・・・え、マジで!?」みたいな感じになりました。彼は相当驚いていたというか、まさかそんなことを打ち明けられるとは夢にも思っていなかったようで、もう目を丸くして言葉も失っていたよう。
「え?マジで言ってるの!?」と、疑い半分の様子で聞かれたので、「今までずっと彼女がいなかったのも、女子との噂がなかったのも、みんなそうだから。ずっと長い間悩んできたけど、少し前からゲイの友達がたくさんできて、最近では恋人もできた。すごく気分が楽になったはずなのに、今度は前から友達だったはずのみんなに隠し事をしているような気がしてきたし、適当に話の辻褄を合わせるのが辛くなってきた。言うべきか迷ったけど、信頼しているから言おうと思った。」と、割と真剣に言いました。
彼は明らかに理解のキャパシティを超えているように見えましたが、それでも五感をフル回転させて、理解しようとしてくれているのがとてもよくわかりました。
そこで彼は突然ハッとした表情に変化し、
「確か俺が大学1,2年の頃に、バイト先にホモみたいな気持ち悪い奴がいる、みたいなことを笑いながらみんなに話したことあったよね?ああいうの聞いて、傷ついてたよね。本当に申し訳なかった。」と言い出しました。
なんとまぁ、、、確かにそういうことはありましたが、もう自分の中では忘れていたような小さなことでした。そんなことにまで気が回るとは・・・僕も心臓がバクバクな状態でしたが、その状態でも割とホロっときた瞬間でした。
「きっとわかってるとは思うけど、ゲイだからと言って男なら誰でも良いわけじゃないし、ましてやノンケに手を出すことなんてありえないから、できればそういう心配は一切しないで欲しい。」
と、念のため付け加えましたが、上記の通り彼の理解力はかなり高いですから、もちろんそんな心配はしない、と答えてくれました。
そして最後に、「よしわかった!とにかく、今の英司が自分を受け入れられて幸せだったいうことを聞けて良かった!!」と言ってくれて、中断していた食事の続きを取りました。
チキンを一口食べると彼は「やべ~。そうは言っても俺驚き過ぎて味しね~よ!!(笑)」と笑い出して、それを見て僕も緊張の糸がほぐれて笑い出し、なんかとても穏やかな雰囲気で帰っていきました。
この一件をきっかけに、僕は比較的オープンなゲイの道を歩んでいくことになりました。時間が進むにつれて、自然とカミングアウトの敷居も低くなっていき、特段自分から声を大にして言うこともないけど、聞かれたら別に今までみたいに嘘をつかない、というスタンスを取るようになっていきました。
なので、大学4年生の頃には割と関わる人のほとんどが僕のセクシュアリティを知っている状況でした。
(ただ一方で、上記のような友人ばかりでもなく、それを知って去っていった友人ももちろんいました。)
さすがに会社などで自分のセクシュアリティをカミングアウトすることはまだまだはばかられますが、今でも親交のある大学時代の友人などはみんな僕のセクシュアリティを知っているし、それ以外にもプライベートでよく遊ぶゲイの友人もいますので、昔よりも自分のセクシュアリティを隠すために嘘をついたりするストレスはだいぶ軽いと思います。
一部には、「カミングアウト=ゲイ全体の可視化に繋がる」として推奨する向きもありますが、僕は特段そういう観点からのカミングアウトは必要ないと思うし、ましてや人から強制されるカミングアウトなどあってはならないと思います。
しかしながら、僕の場合はいろいろな偶然も重なり、カミングアウトをすることで大部分のストレスは取り除くことができました。
これが、僕が最初にカミングアウトをしたときの思い出です。
皆さんはどんな思い出がありますか?