「演劇」と「ラジオ」が変えた私の青春平成時代―不幸自慢は平成で卒業!

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どうも、英司です。
いよいよ平成も残すところあと1週間あまりとなりました。

 

前回の記事も平成を振り返る内容でしたが、なんだか随分と陰鬱な内容になってしまいましたね(笑)

 

そんなわけで、今回はもう少し個人的な、かつ、もっと明るい平成の思い出を書きたいと思います。

 

病弱で引っ込み思案だった私を変えたもの

 

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現在の私をリアルで知っている方は意外に思われるかもしれませんが、私は幼少期や思春期の頃、病弱で身体も小さく、おとなしくて引っ込み思案な性格の少年でした。

 

そんな弱々しい雰囲気の私でしたから、小学生の頃なんかは近所のガキ大将にはイジメられてばかりで、悔しい思いばかりさせられて来たものです。

 

平成9年(1997年)に中学校に上がったとき、やはり体調を崩しやすかった私はハードな運動部に入ることはできませんでした。

 

そんな中で文化部を選んでいるとき、楽器や画材も必要なく一番簡単に始められそうだった演劇部に入ることにしました。この時が、私にとって人生の分かれ道だったのではないかと思います。

 

しかし、文化部だと思って入った演劇部ですが、これが意外と体育会系で(笑)、運動部ほどではないものの走り込みや簡単な筋トレなどもありました。

 

確かに舞台は始まると約2時間という長丁場な上、ライトで熱せられてかなりの高温になっているステージ上を端から端まで走ったりすることが多いため、ある程度の体力、持久力は必要です。

 

しかしそれが功を奏し、成長期が訪れたことも相まってか、私はあまり体調を崩すこともなくなり、健康的になって行きました。

 

もともと演劇部では、音響や脚本、大道具などの裏方をやりたいと思っていましたが、人数もそんなに多くない部活だったため半ば強制的に役者をやることになります。その時はまったく気が進まず「自分が人前に出て話すなんて考えられない!」と言った気持ちでした。

 

「違う人生を追体験できる」という面白さ

 

そんなわけで渋々引き受けた役者でしたが、これがやってみると大変面白かったのです。というのも、当時の私は気も小さくて身体も弱く、コンプレックスだらけで自分に自信が持てず、影も薄く教室の隅にいるような目立たない存在。今で言うところの、典型的な「陰キャ」ってやつですね(笑)

 

しかし舞台をやるとき、コンプレックスなんかとは無縁な強い人の役や、私生活では面白いことのひとつも言えないような自分が、冗談ばかり言っている天真爛漫な役をやったりして、そのときはまるで、あんまり楽しくなかった自分の人生とは別の人の人生を体験しているような気持ちになれたのです。

 

最初は裏方希望でしたが、私は次第に役者メインの部員になって行きました。舞台の幕が上がる合図のブザー音が鳴った瞬間に訪れる緊張感と高揚感は、言い表せない興奮と快感を呼び起こし、それがたまらなく面白いものに感じるようになりました。

 

ちょうどその時から、引っ込み思案でうつむいてばかりだった私は、どんどん社交的な性格になって行き、下を向いている時間よりも笑っている時間の方が多くなって行き、すると自然に友達も増えて行き、そのことで得た自信から更に性格も明るく社交的になって…というサイクルに入って行ったように思い出されます。

 

もう一つの大切な出会いを果たす

 

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同時に、この時私にとって演劇以外にもすごく重要な出会いを果たします。それは「ラジオ」との出会いです。

 

中学校に上がるときに、姉が新しいオーディオを買ったためお古のオーディオを譲り受けました。好きなCDをかけるのも良いですが、まだそんなにCDを持っていなかったため、ラジオをよく聴くようになりました。

 

ラジオから流れてくる、聴いたこともないようなカッコイイ海外のポップスやR&B、自分が生まれるより前に流行った古い映画のサウンドトラックなど、自分の部屋が世界と繋がっているような感動を覚えました。そして、テンポ良くリスナーを楽しませるDJやパーソナリティの軽快なトークにも夢中になって行きました。

 

中でも好きだったのが、よく聴いていた番組中の1コーナーとして放送されていた連続ラジオドラマです。お聴きになったことがある方はわかると思いますが、ラジオドラマには非常に独特の世界観があります。ジェットコースターのように進む民放キー局の人気テレビドラマとは違い、物語のテンポはとてもゆったりしているものの、「映像」という表現が使えないため登場人物の心理描写に重きを置いており、目を閉じれば情景が浮かんでくるかのような美しい言葉遣いと高い言語表現力が惜しみなく発揮されているのがラジオドラマ最大の特徴です。

 

もともと無口な幼少期を過ごし、話すのが上手い方ではなかったのですが、中学生の時にラジオと出会い、自然と「言葉」や「表現」というものを覚えて行きました。それがちょうど、次第に社交的になり友達も増えていく時期と重なっていたので、私自身の口数も笑顔も多くなって行ったこととラジオを聴いていたことは無関係ではないと思います。

 

「幸福な人」は強い

 

そんな、心も体も大きく成長し、人が変わったような体験を経た中学校も平成12年(2000年)に卒業しました。実際、私の場合身体の方の成長もかなり顕著で、中学入学時は背の順で前から2番目、143センチだった身長が、卒業の時には165センチにまで伸びており、何人もごぼう抜きにしています。

 

高校に入ってからも演劇部に入りました。高校の演劇部はもう部活というよりもサークルのような感じでかなり緩く、私もアルバイトと掛け持ち状態でしたが、一応は舞台を続けていました。

 

バイトと部活の両立で家にいる時間も減ってしまったため、中学生のときほどではないものの、高校のときもそこそこラジオは聴いていました。もう高校では、最初から元気で明るいキャラクターで高校生活をスタートさせました。気が弱くうつむいてばかりの私とは、完全に決別していました。

 

今思い返してみても、私の中では、演劇やラジオに出会ったあの時を境に、人生が分断されているような感覚があります。舞台をやっている時に味わった「違う人の人生を体験しているような錯覚」とでも言いましょうか。気も身体も弱かった幼少期の頃を思い出して「本当に同じ人の人生なのかな?」なんて思うことがあります。

 

何より思うのが「幸福な人は強い」ということです。

 

私は幸いにして、年齢を重ねるごとに幸福感は増しているタイプの人間だと思います。中学よりも高校、高校よりも大学、大学よりも社会人、20代の頃よりも30代の今…と言った具合に、楽しいことが増えていると感じます。

 

演劇やラジオに出会って性格も明るくなってから、ガキ大将やイジメっ子にイジメられることはなくなりました。それは私自身が堂々と振る舞うようになったこともあるかもしれませんが、何よりも「常に自分の周りに、誰かがいる状態になった」ということが大きいのではないかと思います。

 

うつむいてばかりで無口だった頃は、いつも一人でいて、味方になってくれそうな友達もおらず、そういうところもイジメっ子からしたら目をつけやすかったのかもしれません。

 

口数も笑顔も増えて行くと、自然と常に誰かが近くにいるようになり、何か困ったことがあれば助けてくれる人が自然と現れるようになって来る。こういうことって「幸せな毎日を送る人」、もしくは「幸せになるために懸命に生きている人」にこそ起きることなのではないかと思います。

 

あんまりこういうことは言いたくないですが…

 

私もイチ同性愛者としてこのあたりでちょっと苦言を呈したいのですが、最近はLGBTを被差別者であり社会生活を送るのが困難であると主張する方々の言動が過激化の一途をたどっています。

 

常に社会や自分の生まれ等と言ったことに不平不満を言ってばかりで、口を開けば不幸自慢。時にそれは過剰な被害妄想となり、自身の他人に対する攻撃的な言動、ついには脅迫や迷惑行為による警察沙汰までを正当化するような人までおり、顔をしかめたくなることが本当に多いです。

 

「自分たちはこの社会の被害者だ」「悪いのは社会や国」「だから自分は人から助けられて当然」そう主張して自分で自分を不幸な立場に固定しています。最初は手を差し伸べてくれる人もいるかもしれません。だけど、何度か手を貸したら「この人達は何をやってあげても次の不満を見つけてキリがない」と思われるでしょう。

 

以上の経験から私が本当に実感するのは、幸福な人ほど助けてくれる人も多いということです。助けてくれる人が多かったから幸福になれた、という側面ももちろんあるとは思いますが、実は「幸福だからこそ助けてくれるような親切な人をたくさん惹きつける」という側面の方が強いのではないかと思います。

 

つまり、すごく逆説的な話になってしまうのですが、「幸福な人」の周りには、「常に助けを求めてくる人」の周りよりも助けの手を差し伸べてくれるような人がたくさんいる、ということになっているのではないかと思います。

 

不幸自慢は平成で卒業しましょう

 

理不尽に感じることがあれば、それを主張するのは自由です。それに、それが本当に社会制度の不備による理不尽なことであれば、むしろそれは然るべき機関や窓口にしっかり言うべきでしょう。

 

ただ、仲間内での不幸自慢が行き過ぎ、純化・先鋭化に歯止めが利かなくなり、それが激しい攻撃性をむき出しにした行動となって噴出している例が最近は散見されます。

 

私は、人は誰でも、「幸せになるために生きている」と理解しています。そして、不幸自慢をしているうちは人はなかなか幸せにはなれないとも思います。

 

「差別がなくなったら困る」「差別がある方が幸福」であるならば、それはご本人の自由ですのでそのままで良いでしょう。

 

でもそれは本当に一部の利権にありつきたい人の発想であって、そんな利権などどうでも良く、純粋に幸せになりたい人は、もうこうした「不幸自慢」を仲間内でやりあうことからは足を洗った方が良いでしょう。先鋭化した怒りや不満を抱えたまま生きていくのは、とても辛く、孤独なことです。

 

平成が終わり、いよいよ新しい時代の幕が上がります。私にとっては、昭和、平成、そして令和と、3つ目の時代を生きることになります。

 

新しい時代も、一人でも多くの方が自身の幸福を追求できる時代でありますように。

 

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