どうも、英司です。
TwitterやFacebookに加え、若い子たちに人気のInstagram、さらには年甲斐もなくTikTokにまでアカウントを作ってしまった私ですが、改めて、「すごい時代になったなぁ」と感じる次第です(この発言のオッサン感スゴイですね)。
こういう遊び半分でやるようなものに対して、大真面目に分析を加えるのはとても野暮なこととは自覚しつつも、今日はそのあたりの話をしようと思います。
「IT革命」覚えていますか?
※興味のない方はこの章は読み飛ばしてください※
今から約20年前の1990年代の終わり頃、政治・経済・文化等の全方面の関係者がこの「IT革命」という言葉を頻繁に口にしていたと思います。
正確に言えば「インターネットを通した情報の流通方法が確立されることによって、革命的な速度で経済や社会の仕組み、生活が変わる」という意味としてこの言葉が多用されていました。
もともとインターネット技術(=ここでは「複数のコンピューターを相互接続して情報のやりとりをできる技術」という定義)が確立されたのはアメリカで、主に政府機関と軍事部門の一部で利用されているだけのものでした。
しかもこの技術はあまり一般には開放されていませんでした。
というのも、もともとは冷戦体制下でいつ戦争になるかわからない世界情勢の中で、アメリカ国内の政府系主要機関での情報連携を迅速化するためにできた技術でしたので、むしろ国家機密に値する秘匿な技術のひとつでした。
時代は進み、1991年にソ連が崩壊。冷戦体制はアメリカの勝利という形で終結しました。アメリカとしては、冷戦が終わったため戦争のリスクが大幅に減ったということで、このインターネット技術を一般に開放し、1990年代の初頭から産業界での活用を促進させた経緯があります。
この流れは日本でもほぼ同時進行で進み、1990年代を通してインターネットが浸透し始め、その有用性が1990年代の末頃に経済界でも認識され始め、2000年には「IT革命」という言葉が流行語大賞に選ばれるまでになりました。
余談ですが、ITバブル真っ只中の日本で総理大臣を勤めていた森首相、「イット革命」とか言っていましたよね…30代以上ともなれば、随分懐かしい話題です(笑)
インターネットのない時代の若者文化
今、1990年代の女子高生たちを主人公とした映画「SUNNY」が大ヒットしていますが、あの映画の舞台になった時代、ちょうど私も小学校高学年~中学生でしたのでよく当時のことは覚えています。
音楽を聴くにはCDしかなく、ファッション情報を知りたければ雑誌しかなく、ヒマ潰しはテレビ、という時代。
つまり、当時は「情報の流通経路」を持っている企業の力が圧倒的に強く、レコード会社や芸能事務所、出版社、広告代理店、テレビ局がほぼこの経路を独占している状態でした。
つまり、彼らの考える「カッコイイもの」「カワイイもの」が、ほぼそのままイコールで世の中のブームになる、という構図がずっと続いてきたわけです。
なので、1990年代頃まではCDが数百万枚売れるとか、ジャニーズやアイドル歌手に今のAKBファンには考えられないくらいの勢いで熱狂する若い男女がたくさん現れる、という現象がよく起きていたものです。
SUNNYの舞台になった時代や、私が実際に高校生だった時代は、女子高生はみんなルーズソックスに茶髪、ラルフローレンのカーディガン、男子は腰パンにロン毛、日サロ通いみたいなテンプレートが存在し、そのテンプレートに従うことが「最先端」「クール」とされていた時代でした。
こうした「テンプレート」は常に東京発信。より厳密に言えば渋谷発信で、全国の若者はそのテンプレートを雑誌やテレビを通して見聞きし、都内在住の高校生などがファッション雑誌に登場しては読者モデルとして活躍する姿などを目にし、なんとなくその情報の発信地である東京の文化に憧れを抱いたものです。
情報発信の敷居は低くなったとは言えども…
前述のような流行の発生する仕組みは、この「IT革命」によって徐々に崩れていきました。とは言っても、経済界で起きたIT革命よりは、かなりゆっくりとしたスピードで変化していったと思います。
インターネットが普及し始めた当初は、これまでの情報流通の仕組みとさして変わらない状況だったと思います。
というのも、まだ当時はhtmlコードを書けて、しかもそれをサーバーにアップできる人しかインターネットで情報を発信することができませんでした。
出版社やテレビ局に比べたらずっと敷居が低くなったとは言え、まだまだ特定の知識と設備を持った人しかインターネット上に情報を流通させることができない状況でした。
ほとんどの人はインターネットと言っても「閲覧専用」という認識で、ただ雑誌や新聞がそのままパソコン画面に置き換わったくらいの感覚で、そこで自分から情報を発信するという発想が定着するのはずっと後のことになります。
ブログの誕生、そしてSNSへ
しかし、この流れが大きく変化するのがブログの誕生でした。htmlコードが一切わからなくても、文章を書いてあとはクリック操作のみで自分のWEBサイトを持つことができるようになり、この手軽さゆえ2000年代の序盤あたりから芸能人が次々とブログを開設。このことで「自分のサイトを持つ=難しい技術が必要」というイメージが一気に払拭されました。
そうなれば一般の若者にこれが広まるのにそう時間はかからず、ブログブームの最中に誕生したのが純国産のSNSとなる「mixi」でした。
「mixi」のブームは凄まじいものがあり、特段何かを主張したいとか、特定の趣味の人と意気投合したいという目的でインターネットを利用していたコアな人たちとは違う、普通の若者たちが、普通の日常を公開し、知っている人知らない人問わずコミュニケーションをする場所として定着して行きました。
今ではこれがmixiからよりカジュアルでオープンなSNSであるTwitter、匿名性の低いFACEBOOK、画像や映像など、視覚的な楽しみ方を重視したInstagramやYOUTUBE、TikTokへと広がりを見せて行きました。
インターネットの発達が可能にしたこれらのSNSが取っ払った、破壊した、そして誕生させた価値観は実に多様なものとなりました。
SNSがもたらした2つのもの
1、 誰でもブームの作り手になりえる環境
私がこのエントリを書こうと思ったのは、他でもない、最近TikTokに登録をしたからです。Instagramももう5年~6年くらいやっていますが、ここ最近はインスタグラマーと呼ばれる有名人が現れ、YOUTUBERは言わずもがなで既にメジャーなポジションになりましたね。彼らは今や「ブームの作り手」を担っています。SNSは、このブームの作り手に誰もがなりえる若者文化を出現させました。
これらをきっかけに有名になる若者は、先で述べた「情報の流通経路」を自分では持っていませんし、また、それを専有している大企業や大人に発掘されたわけでもありません。
彼らが持っているのは「コンテンツそのものだけ」ということになります。そのコンテンツを、誰でも使えるように開放されたインフラを利用して発信し、これが話題になり、人気を博す、という順序を辿っています。企業が独占している情報の流通網がまずあって、その網に何を乗せるかを考える、という、旧来の順序とは逆になります。
現在の若者文化は、(テレビに出ている芸能人と比べてという意味で)たくさんいる「プチ有名人」とか、「プチ憧れの人」たちが作り出している、と言えるのではないでしょうか。
これはゲイの世界でも一緒だと感じました。
ノンケの方も見ているこちらのブログでプライバシーに関わることを大っぴらに言うわけには行きませんので詳細は省略しますが、ゲイがよくインストールしているあるスマホアプリでは、毎日朝になると、人気ユーザーとしてそのアプリの利用者の中で人気のある人(つまりイケメン)がピックアップされて紹介されたりしています。
つまり、ある朝突然、一定以上のルックスを持ち合わせた「普通のゲイ」が全国区のアプリで「イケメン」として紹介され、場合によってはちょっとした有名人になってしまうわけです。
また、ゲイの中にもとんでもない数のフォロワーがいる「ツイドル」みたいな人はたくさんいるし、優れたコンテンツ(と言ってもゲイの場合、大概はルックスですが・笑)を持っていれば、誰でも注目され、有名になり、ブームの作り手になることができるようになりました。
2、「東京的なもの」の陥落
もう1つSNSがもたらしたものとしては「東京的なもの」の陥落が挙げられると思います。
上で述べたことに共通することとして最も着目すべき点は、「物理的な距離があまり重要な意味をなさなくなったこと」だと考えます。
前述の1990年代の若者文化で言えば、渋谷を生活圏とする「憧れの対象」とされた若者が、数十万という部数を売り上げる雑誌に登場し、そこに登場する彼ら彼女らのファッションやライフスタイルを一種のテンプレート化。そのテンプレートを模倣することで、憧れの存在として見ていた彼ら彼女らの味わう都会的な生活を追体験し、それを楽しむというのが若者文化の本質でした。
ゲイの世界で言えば、昔は故郷を出て大都市へ行き、その中にあるゲイが集まる街やお店・クラブを見つけ、やっと同じセクシュアリティの人に出会えるという順序を取っていました。更にゲイ業界で有名になりたい野望のある人であれば、イベントや有名なゲイバーなどに足繁く通い、すでにそのとき影響力のある人に見初められる必要がありました。
つまり、特にゲイの場合は「まずは都会に出ること」という、物理的な距離を取り払うことが、ゲイライフにおいて非常に重要なことでした。
しかし今ではこの仕組みが崩壊しつつあるなと感じます。
ノンケでも、SNSを通じてある田舎の高校生が突然有名人になったりする例が最近よくあります。ゲイでも、わざわざ都会に住まずともその名を轟かせるカワイイ子はたくさんいますし、出会いという面においても、今はITの力を使えばある程度の田舎でも手にいれることができるようになりました。
こうして、誰でも「コンテンツ」さえ持っていれば有名人やブームの作り手になれる世の中になったのと引き換えに、「東京的なもの」の陥落も起きているように思います。
よく、雑誌が売れなくなったとか、若い人はテレビを見なくなったと言われ、その理由として「昔は雑誌を読むのに充てていた時間を今の若者はSNSやスマホでのニュース等の閲覧に使っているため」とか「テレビを見るのに使っていた余暇の時間をYOUTUBEに充てているため」とかっていう論説を聞きますが、これは本質的な回答になっていません。
雑誌が売れなくなったのも、テレビの視聴率が芳しくないのも事実です。実際、私が高校生の頃に絶頂だった高校生・大学生向けのファッション雑誌のほとんどはその後徐々に部数を減らし、絶頂期の10分の1ほどの発行部数を最後に休刊、廃刊になる雑誌が相次ぎました。テレビも、トレンディドラマ全盛期の月9はいつも視聴率30%超えが当たり前でしたが、今では12%~13%を記録すると「大ヒット」としてニュースになるように。
これらの現象は、「『東京的なもの』の陥落」ということで説明がつきます。
かつてファッション雑誌が輝きを放っていた時代、その中にあったのは、東京を生活圏とするカッコイイ、カワイイ若者の姿と、彼らを真似るための「テンプレート」でした。
また、トレンディドラマ全盛期のテレビドラマの中にあったものも同じで、人気の女優や俳優を通して物語だけでなく、彼らが演じている登場人物のキラキラした都会生活、洗練されたライフスタイルをも同時に感受しており、その感覚があのトレンディドラマ全盛期を支えていたのではないかと思います。
つまり、かつて若者文化と不可分な存在だったファッション雑誌もテレビも、そこで提供されているもののほとんどが「東京的なもの」と、それをテンプレート化したものだったと考えられます。
テンプレートなき時代に突入した今
このように、SNSが持った自由さや、インフラの有無よりもコンテンツが重要視される文化というものは、かつて若者文化の担い手であった大手メディアを脅かし、凌駕する存在になりつつあります。
そして、その大手メディアがかつて提供していた「テンプレート」は魅力も力も失い、一言でその時代の若者文化を語れないほどに、若者の価値観は多様化しました。
まだまだ東京にはたくさんの魅力があるとは思いますが、「東京に住む」ということが、文化や生活を楽しむための手段としては、相対的にプライオリティが下がりつつある傾向も、元若者、今オッサンの私はひしひしと感じ取っています。
しかし、私としては、これは概ね良い傾向だと捉えています。やっぱりテンプレートに自分を押し込めるって、一定の安心感はあっても窮屈なモノですよ?
私なんかが特に最近の若い子でいいな、と思うのは、アニメやゲーム好きを公言する今風のファッションを身にまとった子が増えたことです。
これは、私みたいなオッサンの時代ではありえないことでした。
私の若い頃は、アニメやゲームは「オタク」の代名詞でした。「オタク」も、今でこそそれなりに市民権を得た存在ですが、当時は「犯罪者予備軍」みたいな見方がされており、今よりずっとメディア研究や社会心理学が未発達だった日本においては、アニメやゲームが好きな人は犯罪者になる可能性が高い、なんていう、今ではエセ科学と一蹴されそうな風説が、教育関係者を含めけっこう強く信じられていました。
こうしたオタク的なカルチャーは、前出のテンプレート化された当時の今風のカッコイイライフスタイルとは最も相性が悪く、最も遠いところにあった存在です。
その後、科学が進歩し、アニメやゲームを嗜好することと犯罪行為との相関関係は完全に否定され、昔よりは幾分イメージが改善された面もあるかと思いますが、それ以上に、今の若い子たちはすごく素直に好きなものは好きと言い、提供されるモノやコトよりも「自分で選んだ」モノやコトに価値を感じ、自由に伸び伸びと暮らしている人が多いな、と思います。
IT革命から約20年-。産業界においてはその名の通り「革命」のように、一瞬で商流がダイナミックに変化したものでしたが、生活においても、徐々に徐々に浸透し、ゆっくりと進化を続け、ついには20年前に「未来の世界の生活」と言われていた生活を、まさに今の私たちは送っています。
少し長くなりましたが、世代によってはちょっと懐かしい話題も多くなりましたね。既存のフレームはもう存在せず、様々な価値観や生き方を自分で選んだり、組み合わせたりしながら生きていくことになるこれからの世代の未来は、けっこう明るいのではないでしょうか。